遠洋マグロ漁船に乗った10年の物語
マグロはえ縄漁船、漁師一年生の僕の船での生活パターンはこんな感じ。
朝6時起床。
まずはコップ一杯の水を飲んで、タバコを吸う。
そして、歯お磨きをした後、またタバコを吸いながら目覚めのコーヒーを飲む。
この習慣は今でも変わらない。
一連のルーティンの後、8人分の朝ごはんの調理を開始する。
朝食の献立は毎日同じ。
ご飯とお味噌汁と卵焼きに簡単な付け合わせ。
朝7時ぴったりにブリッジに行き、船頭に朝食が出来たことを告げ、操舵席に座り船頭の食事が終わるまでの間、僕は当直をする。
船頭の食事が終えブリッジに戻ってくると「ベルをならせ」と言われ、スタンバイのベルのボタンを押し船員全員を起こす。
その後、食事を終えたボースンがブリッジにやってきて、船頭とその日の仕事の内容を打ち合わせ確認が始まると、僕はブリッジを出て食堂に行きご飯をかき込み朝食を済ませる。
朝食の後片づけをするのだが、この時昼食の準備をできる限り済ませておく。
昼食を作る時間は、30分しかない。
8人分の昼食だ、前準備無しに30分で作れるわけがない。
例えば、昼食に野菜炒め&刺身&お吸い物を作る場合、朝食の片付けが終わった後、野菜は全部切っておき冷蔵庫で保冷しておく。
お刺身用の魚もさばいて、刺身用に切るだけの形に整えて冷蔵に収め、お吸い物に入れる具材も切って冷蔵庫に保管といった具合だ。
朝食の後片付けと昼食の前準備が終わり、仕事に参加する。
ボースンに何の作業をするのかを聞き、指示された通りの作業をする。
作業をすると言っても、新米の僕が出来ることは限られていて、今は仕事を教わることが仕事のようなもの。
仕事や作業は、どの先輩船員に聞いても優しく丁寧に教えてくれた。
しかし、教えた通りに作業をせず、自分なりのオリジナリティを織り込み作業をしようものなら容赦なく制裁が飛んできた。
グーパンか、サンダルで。

サンダルは、まだいいです。
音が激しいだけだけで、怪我にはならないので。
グーパンは嫌です、殴られたところが腫れるから。
人に教わった事を自己流にアレンジし、オリジナリティとして作り上げることは、悪い事ではないと思う。
しかし、数十年の時の中で先人が失敗や成功を繰り返し、その経験を基に作り上げられた「形」はほぼ完成形であり、その先人達の「形」を漁師一年生の僕が自己流にアレンジしても「形」に勝るもはずもない。
教わった方法を柔軟に受け止め、その方法を徹底的に追求した後に、独自の方法で「形」に上書きし、自己流にアレンジして洗礼させていく。
この仕事への考え方と対応は、船を辞めた現在でも変わらず、仕事における初動の方法として続けるよう心がけている。
しかし人はそんなに強くないし、誤魔化したい時もあるし、楽な方法に逃げようとする。
特に生来グウタラ気質の僕は、その傾向がとても強い。
マグロはえ縄漁船とは、文字の如く「縄」を主に扱う作業が大半を占める。
一流のマグロはえ縄漁船の漁師とは、縄を扱う職人でもあるのだ。
マグロはえ縄漁の漁具の仕掛けは、「幹縄」と呼ばれる大元の縄にマグロが掛る「枝縄」または「ブラン」と呼ばれる縄が、2000〜3000本程度取り付けられる。

枝縄は3層構造になっており、末端に幹縄と枝縄を接続するステンレス製のスナップが付いており、スナップが付いている末端から中間までが「枝」と呼ばれ、「枝」の先端に「サルカン」と呼ばれる縄のよじれを取る接続素材がついている「サルカン」からの「枝」よりもひとまわり細い縄がついている中間部分を「さきながし」と呼ぶ。「さきながし」の次に約3メートルのワイヤーが付いており、ワイヤーにマグロ用の釣り針が取り付けられ、1本の仕掛けとして完成する。末端のスナップと枝は、「さつま」という輪(わ)型の縄を編み込んで作り、スナップと枝縄を取り付ける。

「さつま」を刺すには、3本の束になっている枝の縄を1本づつにバラし、「スパイキ」という、カジキの角で出来た尖った作業具を使い、縄に穴をあけて1本づつ刺し込んで「さつま」を編み上げていく。

今日は、「さつま」を作る作業で3000本作る。
船頭は無線を使い他船との漁に関する情報交換をし、機関長は機関室で機関の整備作業を行うため、作業には加わらない。
そのため6人で3000本を作るので、一人あたり500本作る必要があるのだが、新人の僕は先輩が3本作る間に1本しか作れない。
右利きのためスパイキを右手に持ち、左手で縄を持ち「さつま」をさしていくのだが、新人の僕の手は柔らかいし、力加減を調節するほど要領が良くないので、10本程「さつま」を刺すと、縄を持っている左手人差し指の第二関節あたりに、マメができた。
左手の人差し指の痛みは増していき、痛みにより作業の速さは顕著に低下し、徐々に左手の人差し指には血がにじんできた。
左手を痛がる素振りを見せる僕なんか、誰も見向きもしない。
皆、淡々とさつまを刺しながら、パチンコや風俗の話しを和気あいあいとしている。
新人の僕の隣には、常にボースンがいた。
ボースンの作るさつまの、上手くて早い事!しかも、きれい!!!!
あまりの左手の痛さに、痛みを和らげようと「つぅ」と言う言葉が口をついて出た時、ボースンが「手ぇ、痛いのか?」と聞いてきたので、素直な僕は、とても素直な僕は「痛い」と答えてしまった。
するとドッカーーーーーン!!
左後頭部に衝撃が走った。
僕からは見えない角度で、ステルスパンチが振り下ろされましたよ。
殴った後に「若いくせに、痛いなんて言うんじゃねー!!」と怒鳴られました。
まあ、暴力の後に注意されるのはいつものこととして・・・。
しかし「若いくせに」というのは理解ができない。
若くても痛いものは痛いし、痛みを感じるのに若さも老いも関係ありませんから。
しかし、その時は黙って殴られた痛みに耐えました。
だってまた「痛い」と言うと、絶対に殴られるのはわかってますから。
負の連鎖を招くような、野暮な僕では無いんです。
仕事が遅いのは仕方ないのは、先輩方も承知している。一年生ですから。
しかし、根性は同じレベルが求められると学びました。
「痛い」と言葉にするのは、「痛み」に対して「負けました!」と言っているようなもんなんだなと。
訳のわからない理由かもしれないが、それを自分に言い聞かせ納得させるのにさほど時間は必要ない、順応性がとても高い僕でした。
11時半なったので、僕は昼食を作りに賄いへ。
この頃から、飯を炊きに行くタイミングに関しては、誰も指示を出さないし命令もしません。
僕が判断し行動する。
遅ければ、ドヤされるだけ。
ただ僕は約3時間の作業で「さつま」を40個位しか作れていなかった。
昼食を作り終え、船頭に昼食が出来たことをブリッジに告げに行った。
船頭は昼食に行き、船頭の昼食が終わると、船員のその日の作業も同時に終了する。
午後からは、各自2時間毎の当直以外は休みになる。
そのための最初の当直員が、優先で昼食をとる。
その他の船員は、各自バラバラに行動するのだが、狭いスペースで集団生活をしているため様々なことに優先順位がある。
船員は皆、その優先順位を完全に把握していて把握しているからこそ譲り合いが生まれる。
実にスムーズに皆が行動するのである。
船頭がブリッジに戻ってきた、それに続き当直員もブリッジに入ってきた。
僕は操舵席を当直員に譲り、さっさと昼食に行こうとすると、船頭から声が掛った。「お前、今日さつま何個作った?」と、僕は「40個くらいです」と答えると「飯食って後片付けしたら、ブリッジに来い」と言われた。
昼食を済ませ賄いの片づけをし、夕食の前準備をしてブリッジに行くと船頭と当直員の二人は「さつま刺し」の作業をしていた。
「嫌な予感がしたんだよなぁ」と思っていると「お前もさつま刺せ」と、船頭に言われたので、僕は船頭の横に座りさつま刺しを始めまた。
半人前にも満たない僕は、先輩より極端に作業が遅いため居残り作業ということだ。
さつまを20個程刺すと、また左手の人差し指からは血が流れてきた。
しかし、先ほどのボースンから言われた「若いくせに痛がるな」を覚えていたので、痛みに耐えながら指から血が床に落ちても知らん顔でさつまを刺していた。
「痛い」なんて絶対に言うもんか!」と平然としていると、船頭に軽く頭をコズかれ「床が汚れるから、絆創膏はれ」と言われた。
ええっ!俺の手じゃなくて、床!?血ぃ出てますけど!!
と思ったが、口には出さず言われる通り絆創膏を左手の人差し指に貼った。
おお!絆創膏っていいね!痛くないんだよね絆創膏貼ると!
延々とさつまを刺していくと、徐々に要領もつかめてきた、100個程ができたかなと思った頃、船頭に「飯作りに行って来い」と言われた。
時計を見ると17時を回っていた。
翌日も同じ作業をして、また居残り作業。
その次の日は「さきながし」のさつまを刺す作業、そしてまた居残り作業。
三日間同じ作業を続け、数百本のさつまを刺した。
すると左手人差し指のマメが潰れて血が出ていた箇所の皮が硬くなってきていた。
僕の手は漁師の手になりつつあった。
そんな毎日を繰り返し数日が過ぎた頃、船はすでに夏の気候を思わせる、暑い海域に達していた。
海は、素晴らしく穏やかだった。
マグロはえ縄漁をするための、すべての漁具と機器の整備と準備は整っていた。
いつものように朝食を作り、ブリッジに行くと「今日は仕事休みにするから、みんなを起さなくていいぞ」と船頭に言われた。
休みあるんだ!?と、嬉しかった。
すると、当直員である有馬さんが「ワッチ(当直)こうたーーーい!」と叫びながらブリッジに入ってきた。
有馬さんは8時から10時の当直だった。
ブリッジには、本を収める段ボール箱がある。
段ボール箱には、大量に買い込んだ小説や週刊誌、漫画等、様々な本が入っている。
もちろんエロ本も。
有馬さんは、その箱の中から「週刊ポスト」を取り出し、操舵席に腰掛けて読み始めた。

有馬さん、ワッチする気ないみたい・・・・。
有馬さんがグラビアの部分を見てた時、船頭がブリッジに入ってきた。
「有馬さん、船頭に怒られる!」と思ったが、船頭は有馬さんには見向きもせず自分の部屋に入って行った。
「あれ?ワッチの時に本読んでいいの?」と、僕は有馬さんに聞いた。
「2時間も暇だろうが。どうせ船なんかいないんだから、10分に一回くらい前見りゃいいんだよ」と、有馬さんは言った。
そう、太平洋ってとてつもなく広いんです。
出航してから三日も経つと、他の船とすれ違うことはほとんど無く、すれ違ったとしても米粒ほど遠くにいるくらいなんです。
「ウォークマンで歌とかも聞いていいの?」と僕が聞くと「いいに決まってるだろ」と会話しながらも、有馬さんは週刊ポストから一切目を離さず、食い入るようにグラビアページの女の子を見ていた。
僕がブリッジを出ようとした時だった。
「おい、この字なんて読むんだ?」と聞きながら、週刊ポストのグラビアの、横に書かれてある見出しを指差した。
見出しには「妖艶の夏」と、書かれてありビキニを着た女の子が写っていた。
僕は「“ようえんのなつ”だよ」と教えた。
「ほうほう」と言いながら、グラビアページから目を離そうともせず頷く有馬さん。
「ようえんってなんだ?意味わかんねーな」とポツリと言った。
「ん?」と僕は言ったが、有馬さんは僕の顔を全く見ずに、グラビアを舐め回すように見ている。
すると「ところでよー。NHKのおおかわドラマ面白いな!武田信玄!あれおもしれーな」と、いきなり僕に向かって言った。
ぼくは「おおかわドラマ?・・・。はて?そんなドラマあったっけ?」と、少し考えた。
有馬さんは、グラビアから全く目を離さない。ずっと見ている。
見えてはいけないものでも見え出すかのように、食い入るように見ている。
僕はそんな有馬さんに「有馬さん、それってもしかして。日曜の夜8時から、NHKでやってるドラマのこと?」と聞いた。
すると有馬さんは「そう!日曜の夜8時からのドラマだ!」と答えた。
「有馬さん、それ大河(おおかわ)ドラマじゃなくて大河(たいが)ドラマっていうんだよ」と僕が言うと、有馬さんはやっと顔を上げて「バカやろー、うちの隣の大河(おおかわ)さんは、おおかわじゃねーか!たいがなんて言わねーじゃねえか!」とムキになって僕に言った。
音読みと、訓読み!!!
僕は笑いを必死にこらえながら「有馬さん家の隣は大河(おおかわ)さんだけど、NHKのドラマは大河(たいが)ドラマって読むの!」と言うと「それはお前が間違ってる!そんな言葉、俺は聞いたことねぇ!」と、自分が間違えていることを一切認めない感じで、僕に言った。
ちょっと待てよ、さっき妖艶の夏も読めなかったし、大河を“おおかわ”と言うし。
さては?と思い、有馬さんに「ちょっと読んでる本貸して」と言い、有馬さんが読んでいる週刊ポストを取り上げ、記事の部分に書かれてある「裏金作りの仕組み」という文を指差し「これなんて書いてる?」と有馬さんに聞いた。
すると有馬さんは「なんとかつくりのなんとかぐみ」と言った。
そう、有馬さんは小学校低学年で教わる程度の漢字しか読めなかったのだ。
吹き出しそうになったが、有馬さんは先輩なのでバカにしてはいけないと思い、笑いを必死になっている僕の顔を見て「俺は中学にろくに行ってないんだから仕方ねーだろ」と有馬さんは、笑いながら言った。
それ以来、僕は有馬さんのことを、愛を込めて大河(おおかわ)さんと呼ぶようになった。
熱帯低気圧
その日の午後を回った辺りから、海が荒れ出し急に揺れが激しくなってきた。
その揺れはどんどん大きくなって、夕方近くには上から下にド――ンッ!ド――ンッ!と船が叩きつけられるような、揺れに変わった。
船はミクロネシア諸島付近で発生する、熱帯低気圧の真っただ中を航行していた。
この熱帯低気圧は日本に近づいて行き、日本近海に達すると台風に成長する。
いうなれば「台風の卵」だ。

そんな中でも、飯炊きの僕は夕食を作らなければならない。
船が叩きつけられる中、体を支えながら金目鯛の煮付けと、刺身とブロッコリーとエビの炒め物を作った。
夕食を作り終えると、いつものように夕食が出来たことを告げるため、船に打ち込んでくる波をくぐり抜け、ブリッジまで行く。船頭に「夕食ができました」と声をかけた。
いつもなら、すぐに食堂に向かう船頭だがその日は僕に向かって、コクリとうなずくだけで、しきりに他の船と無線で連絡を取っていた。
無線連絡の相手は、近隣で漁をする船だった。
漁の状況を確認しているような話し声が聞こえてくる。
ひとしきり無線連絡が終わると、船頭から「ボースンを呼んで来い」といわれたので、僕はボースンを呼びに、ブリッジから船尾の船員室に向かう。
海は荒れ、大きな横波が船にドッカーンと打ち込んできていた。
僕は、ブリッジの入り口の軒下で打ち込んでくる波のタイミングを図る。
ブリッジの出入り口は右舷側にあるので、船が左舷に傾いた時、波は通路に打ち込んでこない。
風に煽られた飛沫で少しだけ濡れるが、頭から波を被ることはない。船が左舷側に傾いた時に、ブリッジから船尾まで通路を一気に走り抜け、船尾の居住区に行きボースンに船頭が呼んでいることを告げて、またブリッジに戻った。
ボースンが、ブリッジ来た。
船頭がボースンに向かって「明後日からやるぞ、明日構えろ」と言った。
ボースンは「わかりました」と、船頭答え僕に向かって「明後日、第一回操業だ」とニヤリと笑顔を見せ言った。
船頭とボースンは、共に船尾に夕食に行った。
荒れた海は収まる気配は全くなく、波は船に打ち込んできては引いていく。
「こんな時化(シケ)で操業なんかできんのかよ??立ってるのもやっとじゃん」と、思いながら暗くうねる海を見つめていた。
翌日、海は荒れたままだった。
そんな中、第一回操業に向けての準備をした。
船尾の漁具を入れている倉庫が開き、マグロはえ縄漁をするための漁具をスタンバイして、幹縄を巻き上げる機械のラインホーラーや枝縄を巻き上げる機械のブランリールのカバーが外された。
船は、マグロはえ縄漁船にトランスフォーム。
船員は誰に指示されるわけでもなく、激しく荒れた海を航行する船の上で各自がテキパキとスムーズに動く。
最後にボースンが全てのチェックをして、準備は完了した。3時間程で終わった。
船は、戦闘態勢に入った。
僕の胸は、期待に躍っていた。
というのは、嘘で。
「俺、大丈夫かな?こんなに揺れてるのに歩けるのかな?」と考えていた。
第1回目操業
空はどんよりと曇り、海の色は黒く、荒れ狂う波は白いしぶきをあげていた。
そのしぶきが、雨のように船の上に降り注いでいた。
5時半に目覚ましを掛けて寝た、その目覚ましの音で目がさめた。
目がさめてからすぐに食料庫に貯蔵されている、6枚切りの食パンを5個とマーガリンとつぶあんの缶詰を数個テーブルに出した。
これが、操業中の朝食だ。
タバコを吸っていると、けたたましくベルが鳴り響いた。
リィィィィィィィン。
ベルが鳴った直後、居住区から船員達がぞくぞくと出てきた。
一人の船員が僕に「おい、投縄始めるぞ」と、僕に声をかけた。
僕はその船員に付いていき、投縄を行う船尾に出た。
船尾には、マグロを釣るための餌である冷凍ムロアジの箱が30箱程積み上げられていた。

そのうちの数箱を開け海水をかけ、冷凍され固まったムロアジの固まりをバラバラにしているボースンの姿があった。
僕を見かけたボースンが「おい、餌バラせ」と言った。
僕は、ボースンがやっている「餌バラし」を見よう見まねでやった。
餌バラしが終わり準備ができると、各自がそれぞれの持ち場に付いた。
ボースンが、船尾からブリッジに通じているマイクを使い「スタンバイOK」と告げ、投縄が開始された。
投縄の配置作業は5箇所ある。
まずは“枝解き(えだとき)”
カゴに入って縛ってある枝縄を解いて台に載せる役。
次が“スナップかけ”
船尾に設置された幹縄を放出する繰り出し機の横に座り、枝縄の末端のスナップを、幹縄に掛ける役。
そして“餌投”
枝縄に付いているマグロ用の釣り針に餌をかけて、海に放り込む。
雑用を兼務する“餌はぎ”
餌投役の横に設置してある餌箱に、餌であるムロアジを解凍し、補給する役と雑用を行う。
投縄は、船尾に設置してあるスピーカーからプーーッという低い音が6秒毎に鳴る。
“スナップ掛け”は、その音に合わせて繰出し機から放出される幹縄を掴み枝縄のスナップをかけていく。
それと同時に“餌投”は釣り針に餌を掛け、海に放り込む。
“枝解き”は台の上の枝縄が無くなった瞬間に、次の枝縄を解き台の上に載せる。
プーーッという低い6秒毎の音が16回続き、ピー―ッという高い音が鳴る。
高い音が、浮き球を付ける合図だ。
カゴには48本の枝縄が入っており、2カゴ毎に持ち場を交代する。
枝縄96本毎に「枝解き」「スナップ掛け」「餌投」「餌解き」「玉寄せ&雑用」と交代して行き、10周するので枝縄の投縄本数は2400本になる。
距離にして約130キロメートルになる。
一年生の僕は、もちろん雑用ばかり。
「おい!餌がまだ凍ってるじゃねーか!もっと解かせ!」
「タバコつけろ!」
「ジュースくばれ!」
「コーヒー飲ませろ!」
「ウキを取りやすいように、寄せろ!」と、矢継ぎ早に怒鳴り声が飛んでくる。
息をつく暇もありません。
しかも、前日の通り海は時化たまま。
上下左右に、大きく船は揺れている。
するとそこに船頭が現れ「ボウズにやらせろ」と、“枝解き”を担当しているところを指さした。
「ボウズ」とは僕のことで、新人の僕は名前など呼ばれません。
船に必要とされ、仕事がある程度できるようになるまで、ずっと「ボウズ」と呼ばれた。
一人前になるまでは人格などは無いということである。
まあ、こんな荒くれ者の中で大自然を相手に仕事をしていると、人格どころか価値観まで崩壊していくので、否定されても屁とも思わないというか・・・。
思う暇などありません!
初めてする「枝解き」、枝縄は末端のスナップを持って引っ張れば解ける仕組みになっているのだが、カゴから出して枝を解いて台に置くという見た目では簡単に見える作業も、初めての僕にとって6秒間で、その一連の作業は至難だった。
ブーーーッという音に追われてくる、ということは作業が追われている証拠である。
先輩から「おらおらおら!追われてるぞ!」と煽られる、必死に追いつこうとすると枝縄を解くスピードを上げようとするが、枝縄をうまく掴めなかったり落としたりしてどんどん焦ってくる、そして一瞬パニックになり何をして良いのかわからなくなる。
追われる、煽られる、パニくる。
最初はこれの繰り返し。
追われながらも、なんとか2カゴをこなしスナップ掛けに交代。
繰り出し機の隣に立ち、台に置かれた枝縄のスナップを掴み、ブーーーッという音に合わせて幹縄を掴み、スナップをカチャッと幹縄に引っ掛ける。
この作業は簡単なのだが、ブーーーッという音と共に「餌投」が、餌を釣り針につけて海に向かって放り込むタイミングも合わせて見計らいながら、幹縄に掛けた枝縄のスナップを離す必要がある。
また2カゴをこなして、交代となった。次は“餌投(えさなげ)”だ。
餌投に交代しようとすると、ボースンに呼び止められた。
「ここに、こうやって針をかけろよ」と、釣り針を餌のムロアジに掛けるやり方を教わった。
僕は“餌投”のところにいき、後ろから「交代」と声を掛けた。
当縄において、この“餌投”が一番重要な場所と言っていい。餌が付いていなければマグロは釣れない。
僕のすぐ後ろには、ボースンが立っていて、僕は台に置かれた枝縄の釣り針を右手で持ち、左手に餌のムロアジを持ち、教わった通りムロアジの前ビレあたりに針を掛け、右手で枝縄のワイヤー部分を持ち、左から右にシュッと海に投げ込んだ。
すると、枝縄はグシャっと一塊の縺(もつ)れとなり海に放たれた。
「横方向に投げるから縺(もつ)れるんだ!縺れにマグロは食いつかねーぞ!上方向に向かって餌なげろ!」と、僕の後ろにいるボースンに怒鳴られた。
グシャ!次の枝縄も同じように、縺れになった。
見かねたボースンが、僕の右腕を持ち「こうやって横に投げるから縺れんだよ!この角度で、斜め上方向に餌なげろ!」と、僕の腕を持って、身振りを教えた。次の枝縄の釣り針を持ち、餌に針を掛けて、左から右斜め上をめがけてシュッと餌を海に投げ込んだ。
すると、輪になった枝縄は、スルスルスルと縺れることなく綺麗に一直線に海に解き放たれた。
「よし!それでいい!」と、ボースンが僕に向かって言った。
僕も「よし!」と思った。
「この要領だ!」
次々に枝縄を投げ込んでいく。
たまに遅れて後ろ立っているボースンに「追われてる!」と怒鳴られる。
集中して“餌投”をやっていると、あっという間に2カゴを交代が来た。
交代をして“餌はぎ”をやっていると「お前、初めてにしては上手いじゃねぇか。」と、初めてボースンに褒められた。
投縄が終わる1時間前に昼食を作りに行き、昼食を作り終え投縄に参加した。
初めての投縄は、教わることと追われることが多すぎて怒涛のように過ぎ、最後に幹縄にラジオブイ(発信器付きブイ)を付けて投じて、投縄は5時間半程度で終わった。
昼食を取りサッサっと海水のシャワーを浴びて、寝台に行き時計を見た。
13時を少し過ぎたところだった。
その2時間半後の15時半に、縄を巻き上げる揚縄が始まる。
揚縄までの2時間半は、船のエンジンを止め船員は全員仮眠を取る。
寝台に入り、ヘッドフォンしてウォークマンの再生ボタンを押した。
矢沢永吉の「YES MY LOVE」が流れて来て、いつの間にか眠りに落ちていた。
ゴォォォォォーっと言う、エンジン音で目が覚めた。
時計を見ると15時15分だった。
揚縄の起床ベルは鳴らない、メインエンジンの起動する音が起床の合図だ。
船は、2時間半前の投縄の最後に投じたラジオブイに向かって船は航行を始めた。
ラジオブイには信号を発信する発信器が付いていて、その信号を探知するのだ。
寝台から出て揚縄用の作業着を着て、カッパ置き場に行きカッパと長靴を履きゴム手袋をはめて、ゴム手袋の上から軍手をはめて揚縄の準備は完了。
南方海域の気温は30度以上ある。
雨が降るか、大時化の波が打ち込んで来る時以外は上着のカッパは着ないし、ヘルメットも被らない。甲板デッキに向かった。
甲板には、すでに先輩達が居た。
何とも言えない緊張感が漂っていた。
みんなでタバコを吸いながら、ラジオブイが来るのを待っている時に、ボースンが全員「あみだクジ」を持って現れた。
2日置きに一度、投縄を休める「寝ワッチ」と呼ばれる組み合せを決める「あみだクジ」だった。
「寝ワッチ」とは、投縄を休める日をいう。
シフトは下記の表の通り

船頭と機関長以外の、6人でクジを引く。
投縄は4人で出来るので、2人1組の3班できることになる。
僕の引いたあみだクジは3で、怪物君と同じ班になり寝ワッチは明後日となった。
マグロ船の漁の風景の写真を見たことがある。
写真の船員が、上下のカッパを着てヘルメットを被って漁をしている写真だったが、南方海域などの高温海域で操業する場合、天気の良い日に上着カッパは着ないしヘルメットを被ることは絶対にない。
暑過ぎて、仕事をするどころでは無いのだ。
ラジオブイからは発信信号が出ており、それを目指して船頭は船を操船するのだが、広い太平洋ピンポイントでラジオブイには絶対に到着できない。
準備の整った船員は、ブリッジの上に上がり肉眼でラジオブイを見つけるのだ。
20分程でラジオブイが見つかり、それに向かって船はスローで進んだ。
右舷側の舷門が開かれ、「鈎(カギ)」を使いラジオブイを捕まえた。
ラジオブイが船に引き上げられ、デッキ前方右舷側に設置されてある“ラインホーラー”という、幹縄を巻き上げる機械が廻り始めた。
幹縄をラインホーラーに掛け、幹縄が巻き始められた。

揚縄の開始である。
幹縄は海から甲板の右舷に取り付けられたサイドローラーを経て、ラインホーラーに繋がり巻き上げられてくる。
巻き上げられた幹縄は、ラインホーラーの左側の下に設置されたベルトコンベアーの上に落ち、落ちた幹縄を船尾の上部にある縄庫に送る仕組みになっている。
ベルトコンベアーには「傷見」という担当がいて、幹縄の傷を探す。
幹縄の傷ついた箇所があれば、すぐその箇所を“さつま”で補修する。
ラインホーラーの幹縄を巻き上げる速度は、時速にして平均速度10キロメートル程度で130キロメートルはえた、幹縄に沿って巻き上げていく。
そのため揚縄の作業時間は時間=距離÷速度で計算すると約13時間となるのだが、マグロが釣れていたり幹縄が切れたりのアクシデントは必ず発生し、揚縄がストップするので大体14時間程度作業時間がかかる。
ラインホーラーとサイドローラーの作業箇所を「縄先」と呼ぶ。
サドローラーの下には、ライホーラーを止めるブレーキがついており、ブレーキを踏むとラインホーラーは止まる仕組みになっている。
船頭は、操縦席に座りラインホーラーが巻き上げる縄のスピードに合わせて船を操船する。
縄先担当は、巻き上げられる幹縄についている枝縄のスナップを、ブレーキを踏むことなくスパッと離していくのだが、常に幹縄を左手で叩きながら幹縄の張り具合を確認し幹縄の感度を確認する。
幹縄がビンビンに張ると、すぐ近くの枝縄に何かの魚が釣れているということだ。
“縄先”は外したスナップを、後ろに設置されている“ブランリール”にかける。
これを“枝くり”と呼ばれる担当が、ブランリールで枝縄を巻き取っていく。枝縄をワイヤー部分まで巻き、ブランリールから枝縄を外し、ワイヤー部分をクルクルと綺麗な輪っかにして、丸くなった枝縄を縛ってカゴに納めて行く。“枝くり”は、ブランリールに2人1組になり、交互に枝縄を巻き取る。

海は投縄の時の時化と比べ、少し落ち着いていた。
“傷見”“縄先”“枝くり”を行なっている船員以外は、獲れたマグロの解剖作業などをする雑用となる。
揚縄も投縄同様、2カゴ毎に担当箇所を交代。
“縄先”担当が、サイドローラー足下にあるブレーキを踏んだ!
「商売!!」
と叫び、枝くり担当に渡した。
「商売!」とは、枝縄に何か釣れてることを指すかけ声だ。
僕と一緒に雑用係をしていた怪物君が弦門に行き、魚のかかった枝縄を受け取った。
枝縄を手繰(たぐ)り寄せる怪物君を真ん中にして、鉤を持った船員二人が怪物君を囲む形で、魚影が現れるのと待っている。
一人の船員が「なんだ?」と怪物君に聞くと「サメだな」と怪物くんは答え、それまで慎重に枝縄を繰り寄せていた腕を強引に引っ張り始めた。
手練の漁師は、魚影を見る事無く枝縄を手に持つだけで何が釣れているのか大体わかるのだ。
サメは貴重な船員の小遣いになる。
サメのヒレを取り、乾燥させて売るのだ。
少し残酷だが、ヒレを切り落とされたサメは、そのまま海に投げ捨てられる。
怪物君の豪腕が唸る。
もちろんサメは抵抗するが、抵抗するサメの力など関係ない。
とにかく力のままに引き寄せる。何か魚がかかっている場合、その魚が上がるまで縄先担当はブレーキを踏み幹縄を巻き上げるのを一時停止し、揚縄も魚があがるまで一時中断する。サメが弦門まで来ると、鉤を持った船員がガチッと、そのサメにカギをかけて、二人でサメを船に引き上げた。
まだ掛かったばかりなのだろう、生きがいい!サメは暴れまわっていた。
一番多く取れるサメは、ヨシキリザメで船では「アオタ」とよばれる。
頭の先から尻尾までは、大体2m程度。

尻尾をバタバタさせながら、口をバクバクと何かに喰いつこうとしている。
ボーゼンと見ている僕に「ホラ!」と、怪物くんが少し大きめの包丁を渡した。「殺せ」と言って凶暴で可愛らしい笑顔を、僕に見せた。
こ…殺せって…と、包丁を持って呆然と立つ僕に「見てろ」と怪物君は言うと、甲板を掃除するためのデッキブラシの竹の部分を、サメの口元に持って行った瞬間、サメがそれにバクッ!!と噛み付き、噛み付いたまま暴れた。
もちろん、竹はバラバラだ。
「!!!!!!!!」となっている僕に怪物くんが「絶対にサメの前に立つなよ、首を切り落として首だけになっても噛み付くからな」と言った。
揚縄は再開されていた。
どういていいのかわからず、包丁を持ったままサメを見つめている僕を見て、怪物君はもう一つの包丁を持ち、サメの後ろに回り込んだかと思うとサメの上に乗り、サメの頭と背中の中間点当たりに包丁を差し込んみ、スパン!と横に引いた。
同じように、スパンスパンスパンと、サメの背中を3箇所切った。
サメは大人しくなったが、まだ口はパクパクしていた。
怪物君は「こうやってヒレを切るんだぞ」と言いながら、僕にサメのヒレの切り方を教えた。
サメはヒレが無くなり、細長い切り刻まれた固まりになっている。
怪物くんは、サメの目に右手の人差し指と中指を入れて引っぱった。
「腹側を上にして持つなよ、サメはこうやって背中側を上にして持つんだぞ」と僕に言った。
サメの口は腹側にあるので腹側を持つと噛まれたり、サメの鋭利な歯で怪我をしてしまうことがあるのだ。
背中側が自分の足下に来るように、引きずるのが正しいサメの引きずり方だ。
怪物君はサメの目に差し込んだまま、ソフトボールの投手の様なフォームで舷門をめがけヒュンっとサメを振り上げて海に捨てた。サメは、ヒュュュュュン!パシャァン!と海に投じられた。
いくらヒレを切り落とされたサメとはいえ、重さは50キロくらいはあったはず。
それを片手でヒュンって・・・。
「商売!」と、また声がかかる。怪物君が手繰り寄せる。
「サメだ」と怪物君。
そう、サメは本当に沢山釣れるのだ。
僕は鉤を持った。
サメが弦門まで来るのを待った。怪物君はサメをたぐり寄せながら、僕に向かって「このサメ生きてるからな、カギを掛けた瞬間に揚げるぞ。そうしないと大暴れするからな」と言った。緊張した。鉤を持ったはいいが、初めての鉤持ちだ。
サメが弦門まで来た時「かけろ」と、怪物君の声を合図に僕はサメに鉤を差し込んだ。
「そりゃ!!」と言う怪物君のかけ声と共に、サメを船に引き上げた。
呼吸はバッチリ!
サメは綺麗に船に上がった。
怪物君と僕のハイタッチ!!
「ほらやってみろ」と怪物君が僕に包丁を差し出した。
僕は、「よっしゃ!!」と気合いを入れた。
サメの後ろに回り込み、上に乗った。
サメの力は想像以上に強く、僕はサメに振り払われはじき飛ばされてしまった。
そんな僕を見て、デッキにいるみんな声は上げて笑っている。
「ほら!いけ!」とか「早く殺せ!」と声がかかる。
僕は再度サメの上に乗り、包丁を差し込んだ。スパッ、スパッ、スパッっとサメの背中の三箇所を切った。サメは大人しくなった。
ヒレを切断し、サメを海に捨てようとした。
サメは思った以上に重い!!
大きさはさっき怪物君が海に捨てたのと、同じくらいの大きさだが。
重い!!あの人、これを片手の指二本で投げたの!?と思いながら何とか海にサメを投じた。
操業初日は、教わる事が多すぎるし、覚えるのに必死でこれくらいしか記憶に無い。
仕事を追いかけるのに、精一杯だった。
ただ、今でも大切に持ってる汚い字で書いた日記に「処航海、一回目、キハダ(キハダマグロ)42本、バチ(メバチマグロ)8本、クロカワ(クロカワカジキ)2本、メカ(メカジキ)3本」と、書かれてある。
約14時間に及ぶ揚げ縄が終わった後、翌日の投縄班は即座にシャワーを浴び、投縄用の作業着を着て、即座に寝る。
「寝ワッチ」班は、翌日の投縄の準備をする。
重さ20キロのムロアジの冷凍された餌箱を30箱ほど冷凍倉庫から出し、ラジオブイや浮等の準備をして、全船員の揚縄用作業着の洗濯をして風呂に入り就寝となる。
風呂から上がった後、男だけの世界なのでみんな前を隠さない。
ノーマルなチンチンの人が大半だが、中には明らかに形がおかしい人がいた。
翌日投縄班の僕は、投縄用の作業着を着て寝台に入った。
その約3時間後には、また投縄が始まる。
寝台で横になり、ヘッドフォンをしてウォークマンの再生ボタンを押し、曲が流れ始た。
前奏を聞き終わる前に、眠りに落ちた。
リィィィィィィィンという、スタンバイの音で目が覚めた。寝台から降りる。
2回目以降の投縄は4人で行うので、一人に掛る労働の負担は必然的に大きくなる。
僕は、2回目の投縄から先輩船員達と同じローテーションに組み込まれた。
投縄開始から終了まで間、先輩船員達に容赦なく追い立てられる。
「オラ!!タラタラしてんじゃねー!!」
「テメェ使えねぇな!サメの餌にすんぞ!」
僕だって人間だし、感情はあります。
そりゃムッとしますよ、それは顔にも出ます。
すると「そんな顔は一人前になってからしろ!!このクソボウズ!!」と、怒鳴られた。
追われるだけで一人前に働けていない自分を、十分理解している僕は返す言葉もない。
そりゃそうだ。
僕は、漁師になるためにマグロ船に乗ったのだから。
これで飯を食って行くと決めたのだから。
先輩の仕事に、必死に喰らい付いて行くのがやっとで、息をつく暇もない。
幹縄にスナップを掛ける作業をしていると、後ろで枝縄を解いている怪物君がポツリと「怒られるのも仕事のうちだぞ、可愛がられてんだぞ」と、僕に言った。
怒られてムッとしている僕に、怪物君は良くそう言って慰めた。
僕はその言葉に、何度救われたことか。
怒号の渦の中で2回目の投縄が終わり揚げ縄の準備をして、即行のシャワーと食事。
1分でも早く多く寝たい。
約3時間の就寝の後、揚げ縄開始。
投縄とは違い、揚縄で座ることは許されない。
14時間労働のうち、座れるのは食事の時間約5分とコーヒー休憩のタバコ1本分。
合計で、30分あるかないか。
特に新人の僕は体力も無く、揺れに対する平衡感覚も体重移動も馴れないため疲れやすい。
へたれこむように魚層の上に座っていると、容赦の無い蹴りと共に「若いくせに、座ってんじゃねー!!」と怒鳴られる。
幹縄が巻き上げられ、枝縄が渡され枝縄を巻きあげる。
枝縄に何か魚が釣れていると「商売!」と声が掛る。
操業二回目で何となく仕事の流れと要領はつかめてきた。
しかし、暑い!!!
2回目操業の海は、かなり穏やかになり昼間の気温が35度、夜間で28度と気温的には過ごしやすい気温なのだが、湿った潮風と時折訪れるスコールで湿度は常に高い。
しかも、夜間の作業のため甲板のデッキは投光機の明かりで照らされているため、デッキの暑さは30度近くになる。
ズボンカッパに長靴をはいてい揚縄をするので、揚縄を開始して1時間もすれば長靴の中に汗が溜まってきて足の裏の皮がふやけてくる。
そのふやけた足の裏で揺れを防ごうと踏ん張るため、マメではなく足の裏の皮が剥がれてくる。
もちろん痛い。
それに疲れる!!ほとんど寝てないし、投揚縄合わせて18時間ずっと動き廻り、それに加え怒鳴られると気持ちまで疲弊してくる。
そして、ここは太平洋!
周りは大海原で娯楽も無いし逃げ場所も無い。
しかし、不思議と現在抱えているような「ストレス」を感じたことはなかった。
というより、感じる暇がなかったと言ったほうが妥当かもしれない。
そんでもって、眠い!!
寝てないから当たり前!!
「寝ワッチ」が、待ち遠しい!!!
そしてそして、危険!!
滑るし、揺れるし、殴られるし、蹴られるし。
ノロノロしてると、缶も飛んでくる。
サメは相変わらず、バタバタバクバク。
クロカワカジキは、弦門から突っ込んでくる。
マグロを釣るための釣り針は飛んでくるし。
また仕事に必死に付いていくのがやっとで、二回目の揚縄が終わった。
待ちに待った寝ワッチだ!!!!
ヒャッホーーーー!!!
その日の揚げ終わり時間は3時半頃、同じ班の怪物君と二人で翌日の投縄の準備をする。
餌箱の入った冷凍倉庫から餌箱を出すのだが、またまたそこで怪物君がバカ力を発揮した。
一箱20キロの箱を5個重ねて持って歩くんです。
合計100キロですよ!
揺れない場所でなら、まだ理解できます。
100キロくらいの荷物を持って、陸を歩く人ならその辺にゴロゴロいるでしょう。
しかし、ここは揺れる船の上。
僕は2個重ねて持つのがやっとです。
翌日の投縄の準備も終わり、僕が洗濯をしていると、風呂を終えたフリチン怪物君がやってきた。
「風呂行ってこい、俺が干しといてやるから」と言ってくれたので、僕は風呂に入った。
風呂からあがり、洗濯機のところに行くとすでに洗濯は終わっていた。
それを見届けて、船尾の階段を降りて船員食堂に行った時、僕に背を向ける格好でケツが丸見えでフリチンのまま怪物君が立っている。
よく見ると、右手には濡れたタオルを持ち、もう左手にはエロ本を持っている。
「なにやってんだ?」と思いながら、小腹が空いていたので怪物君を無視してカップラーメンを食べようと賄いに行き、カップラーメンにお湯を注ぎ船員食堂に戻った。
すると!!左手のエロ本を見ながら、いきり立たせイチモツを、食堂のテーブルに載せた怪物君が立っていた。
カップ麺を持ったまま唖然としてそれを見ている僕をよそに、テーブルに載せた自分のイチモツを、濡れたタオルで叩き始めた!!
バシバシバシ!!!

「何やってんの!?」と、大きな声で僕が聞くと「ん?チンコ鍛えてんだよ」と、普通の顔で答え、またバシバシバシ!!!かなりの力で。
「鍛えられるの!?鍛えてどうすんの!?」と僕が聞くと「お前もチンコ鍛えてみ。こんなの初めてっつって、おねぇさんが俺の背中を爪でガリッ!!だぜ!」。
ええっ!?おねぇさんが背中を爪でガリッ!なの!?
その「背中に爪でガリ」というのを経験したことのない僕は、そのフレーズに異常に反応した。
「俺もチンコ鍛えたら、おねぇさんが背中ガリってなるかな?」と怪物君に聞くと、怪物君は左手の親指を立てウィンクしながら「オフコース!」と答えた。
早速エロ本を取りに行き、パンツを脱いでイチモツを立たせ二人並んで
バシバシバシ!!! バシバシバシ!!!
それを4〜5回もすると、僕のイチモツ君は紫色に変色してきた。
「これ、いいの?」と、自分のイチモツを指さし、怪物君に聞くと
「オフコース!」と、またなぜか意味が合っていない英語で答えた。
オフコースて・・・・。
バシバシバシ!!!を10回程やり、チンコ鍛錬のお時間は終わった。
その後、のびきったカップラーメンを食べて寝台に入り眠った。
投縄スタンバイのベルにも気が付かず、8時間寝続けた。
起きた後、寝起きの小便をしようとイチモツ出すと、僕のイチモツ君は青紫色になっていて、手で持つととても痛かった。
それ以来、二度と鍛練をすることはなかった。
操業は6回目となり。2度目の寝ワッチがきた。また、8時間くらい寝て起きた。
時計を見ると14時半だった。
体には、なんとも言えないダルさが残っていた。
歯を磨き、コーヒーを飲もうとインスタントコーヒーをコーヒーカップに入れ電気ポットのお湯を注いだ。
コーヒーカップの取っ手を持った瞬間「熱い!!!!」
コーヒーカップの取っ手を持っているだけなのに、熱い!!
手の平を見ると、真っ赤だった。火傷をしたような痛さだ。
操業の揚げ縄中は、ゴム手袋をし、その上に軍手をして作業をするのだがゴム手袋の中の手は汗と海水で、常に濡れてふやけている。
その手で、縄である漁具を扱うため、手の平の薄皮が剝けて傷んでくる。
手の平は真っ赤になり火傷と同じような症状を感じるのだろう。
そのため、微熱でも熱く痛く感じる。それが過ぎてくると、徐々に手の平の皮は厚く固くなりグローブのような手になる。
どのくらい固くなるかって?
ジャンケンが出来ないくらい!!!
グー・チョキ・パーのどれを出しても、パーにしかならないのだ!!!
パーにしかならないと言うより、パーにもならない!!
しかし、それは一人前の漁師になっての話し。
僕の手はまだまだ柔らかく、素人の手だ。
ご飯を食べて、波間を漂うブリッジの上に上がりコーヒーを飲んだ。
すごく良い天気の日だった。
透き通る青い空!澄み切った空気!!眼下に広がる大海原!!
なんて気持ちがいいんだろう!!
気持ちがいいんだろ??
気持ちが…
ちょっとまて
湿気で澱み、重い空気…。
船全体を覆うような魚の血が乾いた匂い…。
そして手の痛みと、疲れからくる体のダルさ。
oh…。
そんな事思っても、どんなにキツクとも否応無く、揚縄はあと数十分後に始まる。
「弱気になるだけ損!」と、自分に言い聞かせた。
漁は12回目操業まで、順調に進んだ。
12回目連続操業、12日間休み無しということになる。
その間、3回の寝ワッチ以外は約18時間の肉体労働の毎日。
さすがに先輩船員達の顔にも、疲れが見える。
疲れから来るのだろう、みんな機嫌が悪い。
揚げ縄中に、傷や重さが原因で幹縄が切れる。
最低でも1回の揚縄で、一度は必ず切れる。
幹縄が切れると、ブリッジ上に設置されてあるサーチライトでウキを探す。
ウキには、夜光管が付いており、夜光性のシールが張られている。
サーチライトがウキに当たると、海面がキラッと光る。
当たった瞬間、サーチライトは上下に激しく揺らされる。
「この方向にウキがある!」という合図を、サーチライトを上下に揺らし、操舵をしている船頭に知らせるのだ。
サーチライトは波間に揺れるウキを照らし、船をウキまで誘導する。
ウキを捉まえて、揚げ縄再開。
時にはウキを数時間、探す事もある。その時間分、揚縄が終わるのは遅くなる。
揚縄に15時間かかる事もあれば、海流の状態が良くスイスイと揚げ縄が進み12時間で終了する事もある。
大海原という自然に支配されながら、労働をする仕事なのだ。
大自然が相手なので、自然に対して愚痴をこぼす馬鹿はいないし、腹を立てる者もいない。
ただし、漁師というはとてもゲンを担ぐ。
自然との関係を、誰かのせいにする。一年生の僕は、よく僕のせいにさられた。例えば「おまえ、昨日せんずりしたろ?だから縄が切れるんだよ!!」
ええっ!!!それ関係なくない!?
「おまえの彼女がサゲマンだから、マグロが獲れねーんだ!!」
全く根拠ないよね!!!
もちろん、そういう時は僕も反論する。
「俺の彼女じゃなくて、あんたの嫁だよ!嫁!」と。
すると、本気で殴られる。
しかし、ここで屈すると相手をもっと助長させる。
いじめの法則と似てるのかもしれない。
いじめられる方が、いじめられる都度反抗の態度をとると、いじめている方は反抗される事が面倒くさくなってくる。
そしていつのしか、いじめなくなる。
操業も半分を過ぎる頃、まだまだだ半人前にもなってない僕だが、ある程度の仕事も覚え日常にもなれてきたのだろう。
この頃には、相手が人間だろうと大自然であろうと、命の駆け引きをする覚悟が出来ていた。
その時が、漁師の登竜門をくぐった瞬間かもしれない。
操業12回目での出来事。
その日の操業は、15時半に縄を揚げ始めてから18時の夕食までサメが数匹しか取れず、マグロは一本も釣れていなかった。
「商売!!」と声が掛り、僕は右舷側の弦門にいち早く行き、枝縄を受け取る仕草をした。僕の左手に枝縄が収まり僕はそれをたぐり寄せた。
「もっと腰入れて引っ張れ!腕だけじゃなくて、体使え体!」と、先輩からの声が掛る。
僕は枝縄をたぐりよせながら、怪物君がマグロをたぐり寄せている姿をイメージし、枝縄を引っ張った。
すると、力をあまり使わずにスイスイと枝縄をたぐり寄せることができる。
「そうか!腕で引っ張るんじゃなくて、腰を中心にして腕を固定して上半身で引っ張るのか!!」なるほど!!と思った。
すると、枝縄を引っ張る僕の姿は、先輩船員からみても様になっていたのだろう。「お!格好がついてきたじゃねーか!」と、褒められた。
枝縄を引っ張っていると、急に軽くなった。
「あれ??」と思ったが、針に何かがついているのは間違いない。
重さは感じる。ワイヤーの部分まで来て、それを引き揚げると“マグロの頭”だけが上がってきた。
マグロの頭を見たボースンがそれをとり、操舵席に座っている船頭に向かって「シャチ頭」と叫んだ。

シャチ頭とは、ゴンドウクジラが、はえ縄に掛ったマグロの頭から下の身の部分だけをかじり取り、頭だけが針に掛って上がってくることをいう。
包丁で頭部だけ切り取ったかのように、きれいに頭だけが上がってくる。
まるでマグロの覆面を作ったかのように、綺麗に齧り取っている。
「へ~こんなにきれいにかじり取るんだ!」と、感心している僕の頭に衝撃が走った。
足元にはコカ・コーラの250mlの中身の入った缶が転がっていた。
操舵席の窓から身を乗り出している船頭を見上げたら「テメェ!!バリクセェ―んだ!!」と、船頭に怒鳴られた。
バリクセェとは、僕の故郷の方言でツキの無い人などに対して使われる非常に汚い言葉だ。
一つシャチ頭が上がったと言うことは、その後の縄に釣れているマグロは、ほぼ全滅している可能性が高い。仕掛けに掛ったマグロの全てが“シャチ頭”で上がってくるのだ。
また、同じ海域で翌日操業した場合、ゴンドウクジラはその船に付いて一緒に移動する。
そして翌日の操業も、全て“シャチ頭”となる。
すごく頭の良いクジラなのだ。そのため船は、ゴンドウクジラのいない海域に移動する必要がある。
それを「適水」という。
いわゆる、お休みだ!!
案の定、その日の夜食後に、翌日の「適水」が船頭から船員に伝えられた。
操業12回目にして、初のお休み!!!
誰もリアクションもしないし、言葉にも出さない。
僕は「わーーい!わーい!休みだぁぁぁー!」と、心の中で叫んでいた。
すると「お前、明日は7時に起きて朝食兼昼食を作っておけよ」と、ボースン様からのお告げ。
そうか、オイラは飯炊きだ。
「はい・・・」と、答える僕の言葉のテンションの下がり具合が明らかだったのか、ボースンは少し笑った。
揚げ縄が終わったのは午前2時頃、マグロが釣れていないので普段に比べ1時間ほど早く揚縄は終わった。
全ての片づけが終わった船は、他の海域へ移動するため船の速度を上げた。
お風呂からでて空を見上げた。すると空には満天の星と天の川が見えた。
星はキラキラ光り輝き、時折流れ星が流れていた。
激動の日々の、一瞬の安らかな時間。
翌日7時に起きて食事を作り、それからまた泥のように眠った。
操業も24回を迎えた。操業24回のうち、滴水(休み)は2日。
ただし飯炊きの僕は、休みの日でも8人分の食事を作らなければならない。
マグロを備蓄する魚倉は、船首甲板の4トン魚倉が1倉空いている。
それと船尾の1.5トン魚倉が3倉空いていた。
その日、揚げ縄が始まった瞬間「商売!」と叫ぶ。
約40キロのキハダマグロ、生きたまま上がって来た。長さは約150センチ程度。
生きて上がって来たマグロは、絶対に暴れさせてはならない。
甲板は硬い板で出来ているため、その上でマグロが暴れると身を痛めてしまいマグロの鮮魚が落ちるだ。
生きて上がって来たマグロは、上がった瞬間に、タオルで目を押さえ視界を奪う。
そうすると、暴れない。
マグロの頭の中央には白くなった部分がありそこに“突き殺し”というマグロを殺傷する漁具を、マグロの頭に約25度の角度で差し込むと、マグロは痙攣し絶命する。このマグロを殺すにも経験が必要で、経験の浅い“ヘタクソ”な新人がマグロを殺すと、急所を外し瞬殺できないとバタバタと悶え跳ね上がりテンヤワンヤの大騒ぎになる。
マグロがテンヤワンヤなのは仕方ないとして。
そんな時“ヘタクソ”な僕にも容赦のない蹴りが飛んできて、僕もテンヤワンヤになる。
その頃には僕と怪物君は同じ寝ワッチ班ということもあり、すっかりコンビ化していた。
怪物君は僕より2コ歳上だが、中学を卒業してすぐにマグロ船に載っているので漁師としては5年目のベテランだ。
ブリッジの上にはスピーカーが取り付けてあり、揚縄中は常に音楽が鳴っている。
14時間黙々と続く作業の中、歌は淡々とした雰囲気を和らげてくれる。
それに歌には、船員それぞれの様々な思いが書き込まれていて、歌を聴きながら陸(おか)で待つ家族や恋人に思いを馳せる。
その頃、揚縄中の曲のバリエーションは北島三郎、鳥羽一郎、八代亜紀などの演歌が約70%、その当時のヒットソングが約29%、僕の好きな矢沢永吉は1%の比率でしか流してもらえなかった。
この曲を流す比率も、漁師としての経験が優先される。
僕が雑用をしている時に合間をみて「歌変えようか?」と怪物くんに聞くと、必ず「オフコースやってくれ」と言った。
そう!怪物君はオフコースが大好きだった。
もうぉ~♪終わりぃ~だねぇ~♪
きぃみがぁ♪小さく見えるぅ~♪
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揺れる海の上で、自然を相手にマグロをとりながら聞くオフコースの「さよなら」ほどシュールな曲は無い。
その日の揚縄は、揚げ始めてからキハダマグロが良く釣れていた。
15時半に揚げ縄を開始して、僕が夕食を炊きに行くのが17時半頃。
その間に20本近く、釣れていた。
1回の操業で漁れるマグロの平均数は、キハダマグロが約30本、メバチマグロが10本、カジキマグロがボチボチという漁獲量だ。
マグロは群れで行動する。らしい、見た事無いけど…。
夕食を食べている間も、縄を巻き上げる“ラインホーラー”が止まる事は無いし、全員で一斉に一時休憩など無い。交代で食事をとり、交代で休憩もとる。僕は30分で夕食を作り、甲板に出て行った。すると、次から次にキハダマグロが上がっていた。4人1組で夕食に行くのだが、皆5分程で甲板に出てくる。カッパも脱がずに、ガツガツと食事をして揚縄に参加するのだ。
夕食直後に、船首甲板の4トン魚倉が満杯になった。
直後、船尾を片付けし船尾の魚層にマグロを入れるよう船頭から指示が出た。
まさか!!!もしかして!!!満船!?
満船とは、魚倉満杯!マグロを納める場所なし!
すなわち、揚げ終わりだ!操業終わりだ!
それを聞いた、船員のテンションが上がった。
十数年の乗船経験を持つ遠洋マグロ船漁師でも、陸(おか)に帰れるのはうれしい。
とにかく、目の回るほどキハダマグロが釣れ、次から次へと上がってくる。
上げられたキハダマグロを、怪物君がエラや内蔵を取り出され解剖する。
そのキハダマグロのエラ部分の血の固まり(血あい)を僕が洗い流し、魚体の温度を下げるために魚冷倉へ入れる。
魚冷倉で冷やされたマグロを、冷凍長が適宜魚倉に収めて行く。
僕がキハダマグロを洗っている時、後ろで解剖をしている怪物君が
「ソープランド♪ソープランド♪やほー♪」
と自作の歌を、大きな声で口ずさんだ。
あまりにも幼稚すぎで全く場の空気を読まない彼の歌に、さすがに「うるせぇよ!」と突っ込んだ。
そうすると「バカ!ソープランドだぞ!うれしくねぇのか!」と怪物君。
「うれしくねぇよ!!さっさと解剖しろ!」と僕が言うと「怒られた」と、笑いながら小さな声で言った。
他の先輩船員達は、僕と怪物君のやり取りを聞きながら笑っていた。
みんなのその笑顔に、僕はなんとなく漁師として認められた気がして嬉しかった。
その日の揚縄終わり2時間前、船尾の全ての魚倉が満杯だと、冷凍長が船頭に告げた。
それ以降、冷凍長は釣れたマグロを無理やり魚倉に詰め込んだ。
怒濤の如き24回目揚縄は、最後のウキを巻き上げ終了した。
その日の揚縄で釣れたマグロは、キハダマグロ40キロ150本、50キロ50本、メバチマグロ50キロ25本だった。約9トンのマグロを、1回操業で釣り上げた。
船頭がブリッジの窓をあけて「片付けろ!」と船員達に告げた。
その瞬間、皆の顔に笑顔が浮かんだ。
マグロやサメなどの血で汚れた機器や装置を洗い流しカバーを被せ、様々な機械や機器が取り外され操業用にトランスフォームされていた船は、通常の船に変身した。
僕は、操業をやり遂げた満足感に浸っていた。
とても、清々しかった。
船は日本に進路を向け、全速力で風を切り走り出した。
東の空から朝日が登ってきていて、暗い空と大海原をオレンジ色を紡ぎながら朝に変わろうとしていた。

帰港中
その頃には父親の事を「船頭」と呼ぶことにも、兄のことを「冷凍長」と呼ぶこにも違和感を感じなくなっていた。
船は和歌山県の那智勝浦町での水揚げを目指し航行していた。
帰港中も、漁具の手入などの作業があり、南下中と同様に7時起床12時終業。
帰港中の作業中、船員達の話題は南下中と変わらずパチンコか風俗の話。
そんな中、怪物君の機嫌は著しく悪かった。
「どうしたの?」と僕が聞くと「入港するの勝浦だろ。勝浦にはソープランドがないんだよ」と、ふて腐れた顔で答えた。
10日後の朝食を作りブリッジに行き、船頭に朝食ができたことを告げた。
すると「今日の14時頃入港するから、昼飯は炊かなくていいぞ。冷蔵庫の物を片付けとけよ」と言われた。
僕は「はい」と答えながら「やっと入港か」と嬉しかった。
11時頃、余った食料などを冷凍庫から出し掃除をしていた。
残飯を捨てようと外に出ると「空気が違う!」と思った。
深呼吸をすると、潮の香りに混じり明らかに懐かしい陸(おか)の香りがした。
14時少し前、船は那智勝浦町に入港した。
子供の頃、母に連れられて良く来た町だった。
なんとなく、懐く思った。
船が着岸してすぐに、水揚げの準備をした。作業は1時間程度で終わり、ボースンから水揚げは翌日の3時スタンバイと告げられた。
翌朝の3時までは自由時間だ。
船頭から各船員に入港金というお小遣い5万円が船員に配られた。
入港金が配られると、家族のいる船員は家族の声をいち早く聞こうと公衆電話に駆け込んだ。
怪物君が僕に「風呂に行こうぜ」と言ったので「ソープランド無いよ」と僕が言うと「ソープじゃねーよ銭湯だよ!」と、ちょっと怒った感じで言った。
僕と怪物君、冷凍長と大河さんの4人で銭湯に行った。
約2ヶ月間、海水の風呂に入っていた。
銭湯に入り、湯船から桶にお湯を汲み頭から被る。
その時、生まれて初めて「真水ってサラッとしてるんだ」と思った。
体を洗い、湯船に浸かる。
これまた、体に触れるお湯がサラッとしていて、とても気持ちがいい。
まさに至極の時だと思った。
余談になるが、この感覚は今でも忘れられない。
マグロ漁船を降りてから20年以上経つ現在でも、お風呂のお湯に浸かるとマグロ船時代を思い出す。最も贅沢であり至福の時だ。
風呂から出て4人で町の定食屋に行き食事をしてパチンコ屋に行った。
夜がくるのを待った。
パチンコ屋の閉店間際、怪物君に「飲みにいくぞ」と誘われたが断った。
まだ携帯電話が無かった当時、タバコ屋でテレホンカードを数枚買い港近くの公衆電話行きダイヤルを押した。
電話相手は、付き合っていた彼女だった。
受話器の向こうでカチャと受話器を上げる音がして「もしもし」と声が聞こえた。
僕は「もしもし。ケイジだけど」と言うと「あ!ケイジくん!帰ったの?」と、彼女は言った。
僕は「うん、今日の昼に和歌山県の那智勝浦という町に入港したんだ」と言った。
2時間近く色々な会話をした後、受話器を置いた。
電話を切った後、会いたい気持ちが胸に込み上げた。
彼女への切なさを胸に、暗く魚の匂いがする市場の中を抜け船に戻った。
ベルの音で目が覚めた、水揚げスタンバイのベルだ。
カッパと長靴を履き、デッキに行った。
水揚げが始まり、魚倉から次々にマグロが陸に上げられていく。

水揚げは4時間くらいで終わった。
市場には、僕の船から水揚げされたマグロがズラリと並べられ、競りが始まっている。

水揚げされたばかりのマグロは、キラキラして綺麗だった。
競りの風景を見ていると「俺たちの獲ったマグロだ」と思い、なんだか誇らしかった。
水揚げの片付けをして、時計を見ると11時を過ぎていた。
市場の食堂に行き食事を取り、併設されている船員用の風呂に入り船に戻った。
船に戻ると、僕を見かけたボースンが「ブリッジの黒板に水揚げ高が書かれてあるから見てみろ」と言った。
僕はブリッジに行き黒板を見た、黒板には「水揚げ量32t、水揚げ高2,500万」と書かれてあった。
1,700万が1航海の人件費や燃料費などを含んだ総経費の損益分岐点となるので、800万円の黒字だ。
自分の初航海が、黒字だったことがとても嬉しく、自然と微笑みが出た。
「やってやった!」と思った。
そこに、船頭が来た。船頭の機嫌も良かった。
「いい水揚げだったな」と、僕に声をかけた。
僕は「うん」と答えた。
そこに兄が現れ、僕と同じように黒板を見た。
それを見て兄も喜んだ。
久しぶりに親子3人の感じがした。
ここで、やっと1航海が終わった。
本当に目まぐるしく、追い立てられながら食らい付いていくのがやっとの初航海。
次の航海からは、そういう訳にはいかない。目まぐるしいが、追われることなく余裕で食らいつく航海にしてやると思った。
翌日の10時からの燃料積みや餌積みまでは、自由時間となる。
船頭から各船員に、仕込み金10万が支給された。
仕込み金とは、個人用の次の航海で使う用具や嗜好品や食料を購入資金である。
怪物君と二人で仕込みに行った。
仕込みをする雑貨屋に行き、ゴム手袋と軍手、お菓子などダンボールに詰め込んでいく。
詰込み終わりレジに持って行き清算する。
清算が終わると箱に船名と名前を書く。
購入した仕込み品は、翌日船に配達される。
次に本屋に行った。
僕は、漫画を数十冊と車やファッション雑誌を数冊買った。
怪物君は、エロ本数十冊と漫画を買っていた。
これもメモに、船名と名前を書くだけ。
次にレコード店に行き矢沢永吉のカセットテープを10個とBOOWYのカセットテープを3個買った。
それでも、3万円残った。
金が余ったので、怪物君と焼肉を食べに行きその後パチンコ屋に行った。
パチンコに負けて金が全部無くなったので、その夜また彼女に電話をして船に帰って寝た。
翌日10時にスタンバイのベルがなり、餌積み作業が始まった。
同時に、燃料積みも行われた。
その後、食料と飲料水の積み込みを終えて船の出航準備は整った。
「15時出航」とボースンに告げられた。
時計は13時を回ったところだった、出航まであと約2時間ある。
出航前に家族の声を聞こうと、船員は公衆電話に走った。
独身の僕と怪物君と冷凍長は、喫茶店に行き食事をしながら時間を潰した。
出航20分前に船に戻った。
船内は入港時の穏やかな雰囲気と違い、騒々しい感じがしている。
15時になり、船の船首と船尾と岸壁を繋いでいた係留索が外され船に巻き取られていく。
船は岸壁を離れ、船首を外洋に向けスローで進み港の灯台を過ぎた。灯台を過ぎるとゴォォーっと、機関の回転数を上げ、全速になった。向かうは前航海と同様、南方海域だ。
係留索などを片付け、船尾に行った。
中学三年生の頃、毎晩寝る前に読んで抱いていた本がある。
矢沢永吉著「成り上がり」。
その本の中に
“1回目ボコボコにされる、2回目落とし前をつける、3回目余裕”
という言葉がある。
僕の大好きな言葉で、今でも胸に刻んでいる。
その時「よし!落とし前をつけてやる!」と気を引き締めた。
つづく


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