遠洋マグロ漁船に乗った10年の物語
苦境の海
12月25日の夜、帰郷した。
しかし“生きて帰ってこれた”と心から思えるには、少し時間が必要だった。
一人を残してきてしまった。
グァム島を発って故郷に向かう乗物の中、故郷に着いてから家に着くまでの道のり、そのことばかりがずっと心に引っかかっていた。
実家に帰り居間に行くと、僕の顔を見た祖母が僕に抱きついてきて
「お婆に顔を見せておくれ。よく生きて帰ってきたね」と、泣きながら僕の顔撫でた。
母から、翌朝に所属する海上保安庁への出頭命令が来ていて、船頭である父と機関部員である僕の二人で出頭するように言われた。
食事をした後、風呂に入り自分の部屋に戻った。
布団に入ると、布団の冷たさになぜか帰ってきたという感じがした。
翌朝早くに父と二人で海上保安庁に出頭し、調書を取るための事情聴取を別々の部屋で受けた。
僕は、船火事の発生する前の機関室の様子や機関計器の以上が見られなかったことなど、直前から直後の覚えていることを全部話した。
海上保安庁の担当官に、色々と質問をされたが同じ海に生きる男として話しを聞いてくれた。
「よくご無事でもどられましたね」と言ってくれた。
事情聴取が終わり、その後船員保険組合に向かった。
船員保険組合には中年の太った男と若いメガネを掛けたもやしみたいな男の二人の担当者がいて、父と僕と同席で聞き取り調査を始めた。
その時の容疑者の様な扱いには、本当に驚いた。
“誰かが放火した可能性が高いんじゃないのか?”
“保険金目的とかじゃないの?”
“殺人を疑われてもおかしくない状況だな”
“疑問を聞き取り、正確な情報を得て結論を出す”ということが仕事とはいえ、聞き取り方や質問に心遣いは全く感じられず、二人の担当者から辛辣で容赦のない質問が浴びせられた。
質問される度に、父は激怒し反論した。
「どこのバカが太平洋のど真ん中で自分の乗る船に火つけるんだ!」
僕たち漁師にとっては当たり前のことでも、海を知らない人達に対して状況説明をするはとても苦労した。
船での生活パターンや船員の行動パターンなど、船での生活の中でおかしな点やおかしな行動をする人物はいなかったか?など。
その日から3日間、海上保安庁での事情聴取と船員保険組合での聞き取り調査は続いた。
午前中に海上保安庁に出頭し、午後から船員保険組合に行く。
そう言った日常は父の心を蝕んで行っているように見えた。
自宅に戻っても食事を取らない日が続き、見る見る痩せて頬がこけて行くのがわかった。
船員保険組合での最後の聞き取り調査が終わった日の帰りの電車の中、窓側の座席に乗っている父がポツリと言った。
「あの時死んでいればよかったのか・・・」
その夜、僕は父の様子を兄と母の話し三人で話し合った結果、父を療養施設に入所させることにした。
兄がそれを父に告げた。
父は「お前達に迷惑かけてすまない」とだけ言い、うつむいたままだった。
PTSDの海
僕と兄は自動車の運転免許証を、船火事で焼失していた。
そのため二人で、12月30日に再交付の申請に運転試験場に行った。
年末の受付最終日ということも有り、再交付の窓口には長蛇の列が出来ていた。
まずは住所や氏名、それと紛失した場所や原因を記入する用紙に記入をしなければならない。
それから再交付の窓口に行きの、記入用紙を提出して免許書再交付申請をする。
用紙を記入している時に、兄が僕に聞いた。
「おい、紛失場所と原因はなんて書けばいいんだ?」
僕は「場所は太平洋上、原因は火災だろ」と言った。
兄は「そうなのか?もっと詳しく書かないとダメなんじゃないのか?」と言った。
僕は「そうなのかなぁ?わかんないから知ってる人に聞いてみるのが一番だな」と言い、近くを通りかかった運転試験上の関係者らしき人を呼び止めた。
「あの、すみません。」
その人は振り返り「はい?」と答えた。
「船の火災で免許証を無くしたんですけど、書き方ってこれでいいんですか?」
そう言いながら記入した用紙を差し出すと、その人は
「もしかして保漁丸の方ですか!?」と、驚いたように僕らに聞き返した。
僕は「そうです」と応えると、「新聞で読みました!ちょっと待っててください」と言って、僕と兄が記入した再交付用の用紙を手に持ったまま駆け足で申請窓口の横にある扉を開け事務室の中に入って行った。
数分後、その扉からその人が出て来て兄に向かって「船長さんですよね?お名前は新聞で拝見しました。」船頭は父だが、船の船長は兄の名前で登録していたので、兄の名前が新聞に載っていたらしい。
「用紙預かります。私に着いて来てください」と言って、僕たちの用紙を預かり歩きだした。
僕と兄はその人について行った。
まずは証明写真の撮影場所に連れて行かれ、次に視力検査状に行った。
写真撮影と視力検査場にも、長蛇の列が出来ていた。
その人は、列の並んでいるいる人達に頭を下げながら、僕たちの記入した用紙を見せて何やら説明していた。
少ししてその人は、僕と兄に手招きをして「さぁ次に検査を受けてください」と言った。
僕と兄は、並んでいる人達に「すみません」と言いながら、誰よりも早く写真撮影と視力検査を済ませてまった。
免許証用の写真が出来上がると「写真預かります、待合室で待っててくださいね」と言い、僕と兄の写真を預かりどこかへ行った。
待合室で30分近く待った頃、その人が現れた。
「これ、再発行した新しい免許証です」と、笑顔で真新しい免許証を僕と兄に差し出した。
僕が「こんなにしてもらって、ありがとうございます」と礼を言うと
「いえいえ、よく元気で帰ってこられましたね。」と笑顔で言った後
「私も釣りが趣味でね、良く船に乗るんです。だから何だか他人事じゃなくて。漁師さんにこんなこと言うと笑われちゃうけど」と言った。
出口で再度その人に礼を言い、運転試験場を後にした。
町から島に帰るフェリーに乗った。
フェリーの座席に腰を下ろすと船の独特な匂いがして、エンジンがかかると船独特の匂いにオイルが焼ける匂いが混じった匂いが乗客が乗る船内に漂ってきた。
それまで自分でも、自分の異変に気がついていなかった。
「おい、お前大丈夫か?」と兄が僕に聞いた。
僕は「なにが?」と言うと、兄は僕の手を指差した。
僕の手は小刻みに震えていた。
“あれ?なんだこれ?”と思った。
「なんだろ?わかんねぇ」と僕は言って誤摩化し窓の外の海を見た。
震える右手を左手で抑えて震えを抑えようとするが、震えは収まらなかった。
“怖い”
なんかわかんないけど、匂いも空間も船のエンジン音も、全てが怖い。
手の震えを押さえるために、肩に力を入れていうずくまるような格好でいた。

一言も喋らずに、島に着くまでずっとうずくまっていた。
喋ると「怖い」と言ってしまいそうで、それを口にすると二度と船に乗れない気がした。
船が島に到着し、自宅に戻り自分の部屋に入った。
「俺、どうなっちゃったんだろう?」
ベットに仰向けに寝て、ずっと天井を見つめながら船の事を考えていると、船が火事になった時のことや、漂流している時のこと、助けられた瞬間などが頭の中でグルグルと思い出されてくる。
思い出したくないことばかりだったので、起き上がりTVを点けて観たが、TVを観ながらでも目の裏側でその思い出したくない記憶がグルグルと回り続けていた。
たまたま付けたTVでは関口宏氏が司会をしている「知ってるつもり?」という番組で、ジョン・レノンの特集を放送していた。
グァム島から帰郷する飛行機でのジョン・レノンの曲とTV番組から流れてくる曲がシンクロして、頭がおかしくなりそうな感覚に陥ってしまい体が震え出した。
自分でも自分の感覚がよくわからず、誰に話していいのかもわからない。
電気だけは消したくなかったので、電気を点けたままベットに横になり天井を見上げながら何も考えないようにした。
いつの間にか眠ってしまっていた。
恩師のことば
正月が終わり、機関長の葬儀に出席した。
すごく辛かった。
師匠を亡くした悲しみと、船が無くなったことへの不安。
しかし、一番辛かったのは人の噂話だった。
噂話は否応無しに、僕の耳に入ってくる。
飛び散ったガラス片のような噂話が、心に突き刺さった。
抜いても抜いても、ガラスの細かな破片が残ったままズキズキと痛む気がした。
いつの間にか
“俺が殺したようなもんだ。
俺がしっかり機関室をチェックしていれば、こうなってなかったはずだ”
と思うようになっていた。
その翌日、子供の頃から親友で幼馴染のミサオの乗る船が漁を終えて帰港した。
ミサオは、物ごころついた時からいつも僕の横にいた。
小学生の時、いじめられるのも一緒。
中学生の時、悪いことをするのも一緒。
しかし、中学を卒業して彼はすぐにマグロ船に乗り僕は高校に進学した。
僕がマグロ船に初めて乗る頃には、彼はすでに一人前の漁師になっていた。
僕は一人で部屋にいて、いつものように天井を見上げながらボーッとしている時だった。
玄関の開く音がして、階段をドカドカと全くデリカシーの欠片も無い足音が聞こえてきた。
僕の部屋のドアが開くと同時に「兄弟!帰ったぞ!」という声が聞こえた。
そんなミサオに「誰もお前なんか待ってねぇよ」と言ったが、内心ミサオの顔を見ただけで心の中が明るくなる気がして嬉しかった。
ミサオは「ガハハハハッ、死にぞこないが!」と言って、僕の肩をグーパンチで力一杯殴った。
やっぱりデリカシーの欠片もない奴だ。
僕は「死にぞこかいって言うんじゃねーよ!!」と言って、力一杯ミサオの肩を殴り返した。
これが僕とミサオの子供の頃からの挨拶だった。
そんなやり取りをしている時、何日か振りに笑った気がした。
ミサオはドカッと腰をおろし、僕に向かって「よく無事で戻ったな」と真顔で言った。
僕は照れくさそうに「ああ」と答えた。
僕はその翌日、船員保険組合に5回目の聞き取り調査に行くことになっていた。
父は療養所に入所しているため、一人で行く。
ミサオに「明日、保険組合に行かなきゃいけないんだ」と言うと「丁度いい、俺も街に用事があるんだ。お前の車に乗っけていってくれ」とミサオは言った。
僕は「いいぞ」と答えた。
その日は、夜遅くまで二人で話をした。
聞くところによるとミサオの乗った船も、遭難している僕達の捜索をしてくれていたそうだ。
僕たちを捜索をしている間、ミサオは無線電話で僕の母と話したらしい。
その話は、その時初めて聞いた。
ミサオは母と話したことが忘れられないと言った。
帰り際「兄弟、心配すんな。俺がついてる。明日、船員組合が終わったら付き合って欲しい所があるから付き合えよ」と臭いセリフを言って、僕の部屋を出て行った。
翌朝、島から出港するフェリー乗り場に行くとミサオはすで船に乗り込んでいた。
僕はミサオの隣に座り、フェリーが出発するのを待った。
エンジンが掛り、エンジンの焼ける匂いが船客室に漂ってきた。
その匂いを嗅いだ時、身体が震えだしたのがわかった。
誤魔化そうと腕を抑えつけたが、震えはひどくなっていく。
ミサオは「大丈夫か」と、僕の肩に腕をまわした。
僕は顔を上にあげることができずに、うずくまるような格好で「笑えるよな、俺船が恐いんだ」と言った。
「何も言うな。わかってるから、何も言うな」とだけ僕に向かって言い、街の港にフェリーがつくまでずっと僕の肩を抱いていてくれた。
港の駐車場に停めてあった僕の車に乗り込み、車の中で僕の震えが収まるのをミサオは何も言わずに待っていてくれた。
震えが収まり、車のエンジンを掛けて街に向けて走り出した。
「お前、我慢しなくていいんだぞ」と車の中で、彼は僕に向かって言った。
僕は「俺、船が怖いんだ。お前になら言える気がした」と答えた。
車を市営の駐車場に停めて船員保険組合まで歩いて行き、受付で担当者を呼び出した。
担当者から会議室に通された。
なぜかミサオはずっと僕の側から離れずにいた。
ミサオを見た担当者は「船の方ですか?」と聞いた。
僕は「友達で別のマグロ船に乗ってて」と答えると「マグロ船の方なら、もしかしたら聞けることがあるかもしれないので、同席してもらえますか?」とミサオに言った。
ミサオは「別にいいよ」と言って、聞き取りに同席することになった。
会議室は長方形の重厚感のあるテーブルを挟んで、左右に5脚の椅子が並んでいた。
二人で一緒に会議室に入り、僕の中央の椅子に腰を下ろし、ミサオは僕の右横に座った。
その日は、それまで聞きとられた状況説明書にサインと判を押すだけだと聞いていた。
僕の目の前には、いつもの中年の太った担当者と若いメガネもやしのような担当者が座っていた。
若い担当者が僕に状況説明書に目を通すように言い。
僕は状況説明書を読んだ。
僕がそれを読んでいる最中に、中年の太った組合員の方が「船頭、大丈夫なの?」と父のことを嫌味っぽく聞いた。
無礼な言い方に、僕はカチンときたが「大丈夫ですよ」と答えた。
僕が状況説明書に目を通していると、太った中年の方が「しかしあれだけ暴れん坊で有名だった人も、もうお終いだなぁ」と、また嫌味っぽく言った。
若い方が「そんなにひどかったんですか?」と、ケラケラ笑いながら明らかにバカにした言い方で太った中年に聞いた。
太った方が「そりゃあもうヒドイってもんじゃ・・・・」と言いかけた時
ミサオは左足で僕の座っている椅子を蹴りながら「我慢しなくていいって言ったじゃねーか!」と言った。
それを聞いた時、フッと心が軽くなる感じがして、僕は目の前の二人を睨みつけた。
僕のことには全く気にしない様子で、中年の太った方は若い方に父の若い頃の話をしていた。
「ダメだこりゃ」
と言って僕は立ちあがり、会議室の机を持ち上げ二人に向かってひっくり返した。
ドッカーーーーーーン!!
ひっくり返した机を一緒に、中年の太ったのと若いのとが後ろ向きに転げた。
「テメェら、誰の親父をバカにしてんのかわかってんのか!!」
二人は机の下敷きになったような格好になった。
下敷きになった二人に、机越しに2〜3回蹴りを入れた。
座っていたミサオが椅子を持ち振り上げて「こらおっさん!テメェらいい加減にしとけよこら!」と言いながら、二人の上に被さってるテーブルに向かって椅子を投げつけた。
僕は倒れていいる太った中年の方に近づき、髪を鷲掴みにしながら顔を上げさせて
「なんだって?もう一回言ってみろ。俺の親父がどうしたって!?」
と、そいつを睨みつけて聞いた。
中年の太った方は唇は、恐怖で震えていた。
「テメェのようなクソにバカにされるような親父じゃねぇんだよ!!!」
と僕はそいつに向かって叫んだ。
「おい!わかってんのか!」と、髪をつかんだ手に力を入れると太った中年は「悪気があったわけじゃ」と震えながら答えたので「わかったかって聞いてんだよ!」と掴んだ髪にもう一度力を入れて、太った中年を睨みつけた。
太った中年は「はい」と震えながら言った。
「クソが」と僕は言って、髪をつかんだ手を離した。
横を見ると、なぜか若い方の顔を踏みつけながら「兄ちゃん男前じゃねーか、もっと男前にしてやろうか」と言っているミサオがいた。
僕はミサオに向かって「おい、それ違うくねーか?」と笑って言うと「違うかな?へへ」と笑って答えた。
僕は散らばった数枚の状況説明書に判子とサインをして、そいつらに投げつけた。
それでも気が収まらなかったので、中年の方に近づき胸ぐらを掴んで
「お前ら、よくもイジメてくれたな。夜歩く時後ろ気をつけて歩けよコノヤロー」と言って会議室を出た。
二人で会議室からでて、船員保険組合の出口に向かって歩いた。
出口から出てタバコに火を点けて歩いていると、サイレンを鳴らしながらパトカーが目の前に停まった。
パトカーから警察官が飛び出し、僕らの横を船員保険組合の中に向かって走って行った。
僕とミサオは無言で早足で歩き、角を曲がったところで全力疾走で走って逃げ船員保険組合から少し離れたパチンコ屋に入った。
パチンコ屋に入るとミサオが「どうする?」と僕に聞いたので「どうするもこうするも、パチンコしようぜ」と笑って僕が言うと、ミサオは「それもそうだな」と言って笑った。
数時間パチンコをした。
パチンコ屋から出ると、外はすっかり暗くなっていた。
「これからどうする?」と僕が聞くと「お前を連れていきたいところがあるんだ、ついてこい」と言った。
二人でタクシーに乗り込み、ミサオは運転手に行く先を告げた。
「どこ行くんだよ?」と聞く僕を、完全にシカトしていた。
タクシーは静かな住宅街にある家の前に停まり、僕たちははタクシーから降りた。
ある家の前でミサオとまり、その家のチャイムを鳴らした。
家の玄関が開いた。
そこには僕とミサオの中学時代の恩師である、園田先生が立っていた。
園田先生は「二人ともよく来たなぁ!!待ってたぞ!!」と、顔をクシャクシャにして笑っていた。
「さあ、寒いだろ上がれ」と言い、僕とミサオを迎え入れてくれ居間に通された。
園田先生は、僕が中学2年から卒業するまでの2年間クラスの担任で、この人がいなければ今の僕は無いと言って良い人だ。
生まれて初めて「お前はやればできる、やり方を知らないだけだ」と、僕に言ってくれた人だ。
“お前は、自分で自分の事が全くわかっていない。お前はやればできるんだ”と、僕が問題を起こす度に言い聞かせてくれた。
家庭の経済状況の関係もあり、中学を卒業してすぐにマグロ船に乗ると決めていた僕に高校進学を進め、三者面談の時に母に向かって「この子は中学生らしい生活を何一つしていない!お母さんお願いです!この子に学生らしい生活をあと3年だけさせてやってください!」と言ってくれた。
それから3日間、僕の実家に通い奨学金のことや手続きの説明をしてくれ母を説得してくれた。
卒業アルバムの片隅に「けいじ、なせば成る成さねばならぬ、何事も」と先生の言葉が書かれてあることを、あれから数十年経った今でも思いだす。
居間に行くと、奥さんがいてテーブルには料理が並んでいた。
ミサオが奥さんに向かって「すみません、お世話になります」と挨拶をすると奥さんは「主人からお二人のことはよーく聞いてますよ」と優しい笑顔で答えてくれた。
園田先生は「俺の教師生活の中で、一番のバカ二人だ」と奥さんに紹介した。
僕はミサオに「お前、これ仕組んだの?」と聞くと「聞くなバカ!」と言った。
食事をご馳走になった。
食事をしながら園田先生は、僕とミサオが中学の時にやった数々の悪さを奥さんに話した。
僕はちょっと緊張していたせいもあり、あまりしゃべらなかった。
すると園田先生が「こうやって大人しくしてると、本当にこいつは好青年にみえるだろ」と僕を指さしながら、奥さんに聞いた。
奥さんは「ええ、とても」と答えた。
「校長先生の机にウ●コをするようなバカはこいつだけ」と、自分の受け持った生徒の一番ダメな素行を胸を張って奥さんに自慢した。
その経緯を僕が説明すると、奥さんは涙を流しながら腹を抱えて笑った。
食事が終わり、お酒が運ばれて来た。
園田先生とミサオは焼酎を飲み、お酒が苦手僕はコーヒーを飲んでいた。
落ち着いた頃、園田先生が「ケイジ、よく無事で帰ってきてくれたな」と僕に向かって言った。
僕は「先生、ありがとう」と言った。
ミサオが「お前先生に話したいこと一杯あるだろ、話せよ。」と僕に言った。
何から話していいのかわからずに、僕は黙っていた。
部屋の中に沈黙が流れた。
すると園田先生が「ケイジ、いいから何でも話せ。俺はお前の先生だ」と言った。
僕は少しずつ、今の自分の心の内を話した。
帰ってから受けたいろんな経験、親族からの中傷、人殺しと言われたこと。
僕が「先生、俺思うんだ。俺が機関長を殺したんじゃないかって」と言った時園田先生の顔を見た。
園田先生の顔は泣いていた。
そして、泣きながら僕を抱きしめて言った。
「お前は殺したんじゃない!助けたんだ!7人を!
それをこれからお前が生きていくうえで、お前の誇りにしろ!」
その言葉を聞いた時、自分の目から涙があふれ出て体が崩れ落ちた。
そんな僕を園田先生は優しく抱きしめてくれた。
翌日、園田先生に従い船員保険組合に行きお詫びしに行った。
船員保険組合でひどく怒られたが、園田先生が説得してくれたお陰で警察沙汰にはならずに済んだ。
別れ際「俺はこれからもずっとお前の先生だからな」と僕に言い
「ケイジ、誇りだぞ。誇り」と言って、僕の頭を撫でた。
帰りの車を運転しながら、ミサオが僕に言った。
「お前、いつまでも一人ぼっちぶってんじゃねーよバカ」と言ったので、力一杯思いっきり左フックをミサオの肩に入れてやった。
つづく


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