Fisherman’s Memoir #5

第一章

遠洋マグロ漁船に乗った10年の物語

海の黒いダイヤ


季節は中秋を向かえた11月、日本近海での本マグロのシーズンを迎えた。
ついに荒れ狂う東沖(ひがしおき)に、出漁する時期がやってきた。
東沖とは、日本の東側にあたる三陸沖から北海道沖、ロシア国境付近までを言う。


そこで、本マグロ(クロマグロ)を狙うのだ。
僕は、冷凍長とコック長を兼任して東沖に出漁した。
本マグロ(クロマグロ)が黒潮海流に乗って、金華山沖にやってくる。
金華山とは、宮城県石巻市の牡鹿半島の先端に浮かぶ島のことで、島全体が黄金山神社の神域となっており、その土地の信仰の対象として有名な土地だ。
船は一路、金華山沖を目指した。近海操業になるため、出港した翌日には操業のスタンバイをする。
いつ操業を開始てもをしても良い状態に準備をしておくのだ。
太平洋南方海域に比べ、11月の三陸沖は少し肌寒く湿度も違う。
南方海域特有の湿って肌にまとわりつくような重い空気とは違い、カラッと乾燥しており陸から直線距離にして20~40マイルに位置するため風にのって陸の香りがしてくる。
そして、明らかに違うのは海の波の形と威力だ。
南方海域の波の形は波の幅が狭く尖っていて重さで表すと軽い感じの波だが、三陸沖の波は、波の一つ一つの幅が広く分厚く波と言うより大きなうねりが波となり船に打ちつける感じがする。
その航海は出港してからずっと穏やかな海だった。
天気図を見てみると、まだ冬型特有の西高東低の気圧配置ではなかった。
出港して4日目の朝6時、突然投縄スタンバイのベルが船内に鳴り響いた。
一回目操業の開始だ。
僕はマグロ漁船に乗ってから半年以上経っていたが、まだ本マグロが釣れた場面をを実際見た事は無かった。
南方海域にはでは、キハダマグロかメバチマグロがほとんどで、本マグロ(クロマグロ)が上がることはなかった。
「ついに本マグロが獲れるのか!!」と、僕の心は躍っていた。
だが、操業1回目の揚縄で揚がってくるのはサメばかりで、特にアオタ(ヨシキリザメ)が多い。
それと、ビンナガマグロが数匹しか獲れなかった。
操業2回目も3回目も、同じ状況だった。
3回目操業が終わり、船頭がブリッジの窓から「一旦漁具を全部片付けろ。漁場を変えるぞ」と叫んだ。
ボースンがブリッジに行き、数分後甲板に戻って来きて言った。
「5日くらい東に走るらしい。海が荒れるから一旦全部片付けだ」
船員達は操業の為に出した漁具や機器を全て倉庫に収めた。
その翌日、僕は朝食兼昼食を作りブリッジに伝えに行こうと外にでた。
寒い!!!
一日東に走っただけなのに、体感で感じる気温は明らかに低かった。
僕は右舷通路を通りブリッジに行き、船頭に食事が出来た事を伝え操舵席に座った。
眼前には群青色の大きくうねる海が広がっていた。
食事を終えた船頭が戻って、来て僕に言った。「今夜から海が荒れるぞ。冷蔵庫のドアを縛り付けておけよ。食用油もしっかり固定しておけ」
僕は「はい」と答えて、ブリッジを出た。
これまで、南方海域で何度か台風に遭遇した経験はあったが、“冷蔵庫のドアを縛り付けろ”と注意をされた事は無かった。
「どんだけ荒れるんだ!?」と思いながら、船頭に言われた通りに冷蔵庫のドアをロープで縛り固定し、調理用の食用油の鍋等をしっかりと固定した。
午後16時、僕は寝台を出て夕食の用意をしに調理場に行き夕食を作る。
午前中に比べ、船の揺れが激しくなっていて大きく左右に揺れていて、明らかに海は荒れだしていた。午後18時、僕は当直交代と夕食が出来た事を
告げに、船尾の船員食堂から船尾甲板に出た時海を見た。
辺りはすでに暗くなっていたが、暗闇の中に大きいうねる波が見えて、波の先端に白波が立っていて、風がヒューヒューと鳴いていた。
ブリッジに行き船頭に食事が出来たことを告げ、当直を交代した。
羅針盤を見てみると、針路は南南西110度を指している。
15分程して船頭がブリッジに戻ってたので「どこの海域に行くんですか?」と聞くと船頭は「ミッドウェーだ」と答えた。
ミッドウェー海域。


太平洋戦争時に「ミッドウェー海戦」で知られる北太平洋のハワイ諸島北西にある島(環礁)で、位置は北緯28度13分 西経177度22分。
高校生の頃、マグロ漁船に乗っている先輩に「ミッドウェーには二度と行きたくない。何度も死にそうになった」と聞いたことがあった。
ワッチ(当直)が終わる頃には、海は大時化(おおしけ)に変わっていた。
翌朝には、まるで山の様な波が船を進行を拒むかのように船体にぶつかる。
波が船にドォォォン!と打つかる度に、船体は細かな振動の衝撃が走る。


船内でも、立っているのがやっとだった。
そんな中でも、飯炊きの僕は朝昼晩の食事を作らなければならない。
海が荒れると、食事の献立も限られる。
食用油が船の揺れで飛び散ってしまうので、天ぷらやフライなどの揚物は絶対に禁物で、炒め物か煮物が主流の献立になる。
船は怯(ひる)むこと無く漁場を目指し、4日後ミッドウェー海域に到着した。
操業再開。
外気温度は1〜5°で日本の冬と同じくらいの気温だが、とにかく海が荒れている。
荒れているというより、風も吹き荒れていて海が狂っていると言う感じだ。
通常の南方海域での操業ではえる枝縄数は2400本だが、海が荒れていて船の速力が出せないため1000本に減らし、枝縄1400本をはえることになった。
投縄は5時間で終わり、揚縄までの3時間仮眠をとり揚縄が始まった。
揚縄中、縄を上げていると海から真っ黒い波の壁が押し寄せてくる。


誰かが「きたぞぉぉぉぉぉーーーー!!」と叫ぶ。
甲板にいる全員、自分の周りの固定された物にしがみつく。

ドッカァーン!!!

と、波が船に打ち込んできて頭から波を被り、甲板は海水で満たされ船も揚縄も一時緊急停止となり、辺りに一瞬の静寂が漂う。
甲板に打ち込んだ波が引き波となって船外に出ていく時、引き波に身体を持って行かれそうになり海に引きずり込まれそうになる。
手摺などにしがみ付き、引き波が過ぎるのを待つ。
そういう波の襲来を一回の揚縄で2~3回、多い時で5〜10回受けた。
しかし、そうまでして捕りたい獲物がこの海域にはいる。

そう「海の黒いダイヤ」と呼ばれる本マグロだ!


マグロ漁は順調だった。
1回の操業で100キロ程度の本マグロが平均2本獲れた、多い時は5本。
大きい物は、200キロのマグロもあった。
初めて本マグロを見た僕の感想は、ドラム缶みたい!
黒くて、キラキラ輝いていて、丸くて大きい。
操業15回、操業が終わり帰港中になった。
本マグロ(クロマグロ)が45本、重さで4トン程度。
その他、メバチマグロ、キハダマグロ、クロカワカジキ等。
漁獲総トン数は18t。
本マグロは高値で取引されるので、水揚げが楽しみだった。
帰港中、あまりにも海が荒れブリッジの上に設置される無線用のマストが折れるというアクシデントがあった。
怪物君は「こんなの初めて」と、言っていた。
事故もなく、無事に宮城県塩竈市に入港し水揚げをした。
水揚げ高は4200万、航海日数28日。
コストが約800万円なので大儲けしたことになる。
船員数は、総員8人。
水揚げが終わり、怪物君と二人で仙台に遊びに行こうとしているとき、船頭に呼び止められた。
「一晩でこの金使って来い!」と、ポンっと封筒を手渡された。
明けてみると、帯のついた100万円の札束が3個入っていた。

「ヒャホォォーーーイ!」

怪物君とハイタッチ。
二人は汚い長靴にジャージと長靴のまま、タクシーを使って塩釜市から仙台市に行き、サウナでさっぱりした後、伸びた髪を切ってデパートの中にあるジョルジオアルマーニに行き、僕は冬物のセットアップとシャツとコートと靴を買った。怪物君は、怪物くんの発達し過ぎた上半身と短い腕にフィットする洋服がアルマーニには無かったので、適当な店でデニムとトレーナーにジャンパーを買った。
僕はアルマーニの店員に「これ捨てて」と言って、脱いだ長靴とジャージ捨ててもらい、買ったばかりの洋服に身を包み、仙台市の国分町に行き超高級焼肉食べキャバクラに行き、一晩で綺麗に300万円を使い切り船に戻った。

“船乗りは、陸で金を手にすると沖の苦労をわすれるのさ。”

クリスマスタイムインブルー

日本近海で「海の黒いダイヤ」を追う日々が続いた。
その日の操業は12月24日、クリスマスイブの日だった。
上下カッパに身を包み、長靴を履いてヘルメットをかぶりマグロを捕るクリスマス。
この時期は夜の訪れが早いため、マグロの釣れる時間帯も違う。
投縄開始時間早朝5時、終了時間9時半
揚縄開始時間12時30分、終了時間10時30分頃。
11月初旬~3月初旬まで、日本近海の漁は続く。
西高東低の冬型の気圧配置が、日本列島を覆う冬本番の時期と重なる。
そのため、海が凪の日は1日も無い。
操業時の揚縄中、ブリッジの上に設置されたスピーカーからは、常に音楽が流れていた。
その頃には、僕は乗船1年生でありながら、飯炊き兼冷凍長として仕事をこなしていたこともあり、先輩の船員達にも漁師として認められてきていたように思う。
「坊主」と呼ばれなくなり、名前で呼ばれるようになった。
船内での地位が確立され認められてくると、揚げ縄の作業中に流す音楽のリクエストもできるようなる。
僕の大好きなRockを聞きながら、ノリノリで揚げ縄♪
ブリッジの操縦席の後方下部ににカセットプレイヤーがあり、そこに自分の好きな曲が収録されたカセットテープを置いておく。
各船員、それぞれ好きな音楽のジャンルが違う。
揚縄中、船頭はいろいろな音楽を流してくれた。
八代亜紀→ザ・ローリングストーンズ→北島三郎→矢沢永吉→おニャン子クラブ→オフコース。
こんなローテーションで、音楽が流される。
夕食が終わり、船尾で漁具の整理をして揚縄に参加しようとカッパの上下を着て長靴を履き、野球用のヘルメットをかぶり揚縄に参加した。
ブリッジを横切って、甲板に出ようとした時音楽が止んでいるのに気がついた。
船頭は、忙しそうに近場で漁をする他の船舶と無線で連絡を取っている。
僕は音楽を掛けようと、ブリッジのドアを開けてカセットテープを入れてある箱の中から「今日はクリスマスソングでしょ」と思い、佐野元春を探した。
佐野元春の「クリスマスタイムインブルー」をセットし、再生ボタンを押した。

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感想(3件)


鐘の音がスピーカーから流れ始め僕は甲板で揚縄に加わった。
すると、雪のメリクリスマタイム♪とレゲェ調のクリスマスソングが鳴った瞬間だった。
ドン!ドンドンドン!ドドドドド!!と拳大の雹(ひょう)が降りだした!
雹が降りだすと共に、少しだけ落ち着いていた海が急に荒れ狂いだした。
揚縄をしている船員達の体に、雹は容赦なくボコンボコンと当たっている。
ゴンゴン!ゴンゴンゴン!と、ヘルメットに雹が当たる音する。
雹が降る勢いがあまりにも酷く、危険だったため一時揚縄中止となった。
全船員、船首倉庫前の屋根のある部分に避難した。

♪約束さMr.サンタクロース♪僕は諦めない、聖なる夜に口笛吹いて♪

そんな状況でも、佐野元春のクリスマスソングは流れ続けていた。
その時「テメェがこんな曲なんか掛けるからだ!!」と言う叫び声と共に、下から上にに突き上げる右回し後ろ蹴りをケツに喰らいました。


ボースンの右回し蹴りです。
ズンチャカ♪ズンチャカ♪というレゲェ調のクリスマスソングは、雹が降り続く荒れ狂った海の上で流れ続け、とてもシュールなクリスマスでした。
曲が終わった瞬間、ピタリと雹が止んだ。
海は荒れ狂ったままだ。
「来たぞ――!!!」という叫び声。
魚倉の入り口に、しがみつく。
波がドッカーーーーン!!!
引き波に持って行かれないように手すりにしがみつく。
打ち込んで来た波が引き、揚縄が再開された。
それ以来、船で佐野元春のその曲が流れることは2度と無かった。

So Long


日本近海で本マグロ漁が終わる3月中旬、航海も無事に終え宮城県の気仙沼市に入港した。
その日の夜、市場の公衆電話から彼女に電話した。
「もうすぐ帰るから」と言う僕に「うん」とだけ彼女は返事をした。
いつもなら「やっと会えるね!」と彼女は喜んだ声で反応するのだが、その時は微妙な反応だった。
正月が過ぎた頃、故郷に戻り夜になり彼女に電話した。
「今から会いに行っていいか?」と僕。
「うん」と彼女は答えた。
その返事も、微妙な反応だった。
僕は彼女の家に行き部屋に入り、コタツに座った。
彼女の様子から、なんとなく冴えない感じの雰囲気が漂ってきていたが、その雰囲気を明るくしたいと思い、いつもより元気な感じで僕は彼女に話しかけた。
しかし彼女はヨソヨソしく、僕の話も上の空という感じだった。
彼女の雰囲気で何となく察知して「どうした?」と聞く僕に「あのね・・・」と言って、少し間があってからすごく言い辛そうに「もう待てないよ」とポツリと言った。
彼女は高校を卒業した後、街の会社に勤めOLをしていた。
「好きな男でもできたのか?」と聞くと「ううん、違うよ」と彼女。
僕は、彼女の次の言葉を待った。
部屋は静寂に包まれていた。
彼女は下を向いたまま「普通の人と付き合いたいの」と言った。
その言葉に、僕は何も言えず彼女の次の言葉を待ったが、待ちきれずに「そうか」と言うのがやっとだった。
確かに僕は何ヶ月も沖にいる。
会えるのは1年に1〜2回しかない。
「俺の生き方は普通じゃないのか?」と、ふと思った。
その時、OLをしている彼女と、遠洋マグロ漁船の漁師である自分との間にすごく隔たりを感じた。
考えても仕方がないことだし、俺の生き方を変える事はできない。
「そうか、わかったよ。」と言って彼女の顔を見た。
彼女の瞳から、涙が落ちていた。
「じゃあ、俺帰るな」と言って、立ち上がり部屋を出ようとした僕に「ごめんね」と彼女は言った。
僕は「謝るなよ。お前は何も悪くない」と精一杯強がって言った。
彼女の家を出た、自分の家に向かって歩いている時。
彼女の“普通の人と付き合いたいの”という言葉が、ずっと耳に残っていた。
その言葉を理解しようすればするほど、その言葉は僕に重くのしかかった。
自宅に戻り、自分の部屋に入った。
灯りは付けずに、CDオーディオのスイッチを押した。
CDオーディオの灯りで、部屋は薄明かりになった。
考えた。
そして、自分に言い聞かせた。
彼女はまだ、19歳の女の子。
同僚や歳の近い友達はいつもそばにいる誰かと付き合い週末は一緒に映画に行ったり、食事をしたりと“普通”のデートをしているんだろう。
でも、僕にはそれが出来ない。
俺の生き方は、そうしてあげられない。
なぜなら俺は、遠洋マグロ漁船の漁師だ。
いつ帰ってくるかもわからないし、生きて帰ってくる保証もない。
1週間もすれば、また出港をして行く。
優しい子だ。
俺に会えない間、苦しんだのだろう。
だから、その苦しみを俺も受けとめようと思った。
それが、俺にできる優しさのように思えた。
オーディオからは、賑やかな曲が流れていた。
僕は一枚のCDを取りだし、CDプレイヤーにセットをして、プレイボタンを押した。
矢沢永吉の“So Long” 

“お前の明日からのためになら、愛したことさえわすれよう“

辛く切ない19歳の春だった。

バイバイサンキューガール

彼女のことを忘れようと翌日から毎日、街に出かけ毎晩浴びるように酒を飲んで憂さ晴らした。
出港当日の朝、約1週間振りに自宅に帰った。
久しぶりに帰宅した僕の顔を見た母親に「あら、見慣れない人がいる」と言う嫌味を聞き流し、居間に行くと船頭と男の人が座って食事をしていた。
船頭が「この航海から、うちの船に乗る吉田まさる君だ」と、その男の人を僕に紹介した。
「この人、漁師の匂いがしねーな」と思いながら「どうも」と僕が挨拶すると「初めまして、よろしくお願いします!」とまさる君は、とても元気よく挨拶した。
「まさるは初航海だからな、面倒見てやれよ」と船頭は僕に向かって言った。
後輩ができた!!!
「よろしく。何歳なの?」と僕が聞くと「24歳です。」とまさる君は答えた。
“やっぱり年上か年上の後輩って微妙”と思った。
出された食事を流し込むように食べ「船に積む荷物はあるの?」と船頭に聞くと、母が「家の前にリヤカーがあるから、それに荷物を載せてるよ。船に持ってって」と言った。


僕は「わかった」と言い立ち上がると、「僕、手伝います!」とまさる君が元気良く言って僕と一緒に立ちあがった。
おお!後輩君!!なかなか良い心がけではないか!!清々しいじゃないか!!
家を出て、荷物の積まれたリヤカーを僕が押そうと持った時、まさる君が「僕がやります!」と言って、僕が持とうとしたリヤカーの取っ手を奪うように取り上げた。
まさる君がリヤカーを押し、僕はその横を歩いた。
「僕、自衛隊にいたんですよ!」と、まさる君は話しはじめた。
「マグロ船ってキツイ仕事って聞いたんですが。僕、自衛隊で鍛えてるんでキツイ仕事でも全然平気ですよ!」と言った。
僕は「別にキツくはないよ。あんた声でけぇな。」と、くわえタバコで歩きながら偉そうな態度でまさる君に向かって言った。
かなりの先輩ヅラだ。
まさる君は、「すみません!!」と、また元気なデカイ声で答えた。
「あのさ、あんた年上なんだから俺に敬語使う必要ないよ。俺もあんたに敬語使わないし。」と僕が言うと。「上下関係無いんですか?」と敬語で聞き返してきた。
「上下関係はあるけど、船頭と機関長に対してだけだよ。敬語使うの。マグロ船は仕事できる奴が偉いんだよ」と僕が言うと
「へぇ~実力社会なんだぁ。僕にピッタリだなぁ」と、なんだか満足気なまさる君だった。
船に着くと、すでにボースンが出港の準備をしていた。
リヤカーから荷物を下ろして、船に積み込んだ。
「ボースン、この人どこの寝台なの?」と僕が聞くと「お前が今使ってる寝台だよ」と“ニヤリ”とボースンは笑った。
その“ニヤリ”の意味は、初航海の時に嫌と言うほど味わった。
居住区のドアを開けて、真正面の寝台のため引きずり出しやすいのだ。
それを聞いた僕も“二ヤリ”とした。
僕の寝台は、まさる君と同じ部屋の奥の上の寝台だった。
ちょっと出世した気分。
まさる君を寝台に案内した。
寝台を見たまさる君は「せまい!!」とまたデカイ声で言った。
やたらと声がデカくて元気の良い奴だ。
彼の身長は180㎝位あり、足を曲げないと寝台に収まらない。
僕は、自分の寝台に行き布団と自分の荷物を置いた時、寝台の異変に気がついた。
「なんだ!?寝台にテレビとビデオがある!」下の寝台を見ると、同じようにTVとビデオが設置してある!
ボースンのところに行き「寝台にテレビとビデオがあるんだけど!?」と言うと。
「この航海から、船頭が全部の寝台に設置してくれたんだ」と言った。
なるほど!だから、実家に大量のビデオテープがあったのか!
母親は僕らが航海に出ていた間、色々なTV番組を録画してくれていた。
すげぇ!!なんだ、この満たされた感じは!? 

ついこの前、彼女にはフラれちゃった僕だけど!!

出港の時間が近づいた。
出港する時、ブリッジ上のスピーカーからガンガンに音楽を鳴らす。
それが出港の合図だ。僕は、ブリッジに行きカセットプレイヤーにカセットを入れ再生ボタンを押した。
矢沢永吉の「バイバイ・サンキュー・ガール」

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感想(45件)


失恋した僕にはピッタリの曲だ!

船には、出港の見送りに来た船員の家族が繋いだ、航海の無事を祈る五色のテープが繋がれ風で旗めいていた。
船員達は岸壁の防波堤の所にいて、それぞれの家族とひと時の談笑を楽しんでいる。幼子を抱きしめる人、奥さんと話す人。
その時「出すぞ!」という、船頭の大きな掛け声がかかった。掛け声と共に船員達は船に乗り込んだ。
岸壁には一番綱を外すために、祖父が立っていた。
船側の一番綱が緩められると、祖父は一番綱を外した。
出港だ。
その時、普段は大きな声を出さない祖父が「大漁してこいよ!」と僕に穏やかな顔で声をかけた。


祖父の大きな声を初めて聞いた気がして不思議な感じがした。
祖父は、漁師の風貌を漂ってきつつある僕を笑顔でずっと見つていた。
祖父が見ていることに気がついていたが、見られていることが照れ臭くて淡々と出港の作業をした。
船員達は機敏に、そして淡々と接岸用のロープや坊弦柵を、手際良く船首甲板の倉庫に納め航海の準備を続けていて、そんな中何をして良いかわからないまさる君は茫然とそれを見ているだけだった。
そんな、まさる君を見て「一年前、俺もあんな感じだったなぁ」と思った。
海は凪(なぎ)で、そよそよと春の風が吹いていした。

つづく

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