Fisherman’s Memoir#2

第一章

遠洋マグロ漁船に乗った10年の物語

マグロ遠洋はえ縄漁船の航海の行程は
「南下中又は沖出し中」「操業中」「帰港中」「水揚げ」に、分かれる。

1、南下中又は沖出し中
「南下中」又は「沖出し中」とは、出港して漁場に向かっているという意味で。「南下中」とは、日本から南方海域(小笠原諸島以南)の漁場に向かって航行ことを指し、「沖出し中」とは日本から東側(三陸沖からロシア国境海域付近「当時はソ連」)に向かって航行していることを指す。
この間に、漁をするための漁具や制作や準備、機械の整備を行う。

2、操業中
漁場に到着し、マグロを獲るための操業を行っているという意味。

3、帰港中
漁を終え、マグロを水揚げするための港に向け、帰港をしていることを意味する。

4、水揚げ
どこかの港で、マグロを水揚げする。

マグロはえ縄漁船は、その船の所属する漁協への、毎日朝夕の定時無線連絡が義務付けられており、船から連絡を貰った漁協はそれを毎日掲示板に貼りだす。
無線連絡の内容は「海洋丸、南下中、北緯21、東経35°」といった感じだ。


郷里で待つ家族は漁協にあるこの掲示板を見て、沖で働く恋人や旦那、父親の漁の状況を確認する。
僕も子供の頃、学校からの帰り道にこの掲示板を見て、船名の欄に「操業中」と書かれていると「父ちゃん、操業中か」とか「帰港中」と書かれてあると「お!!帰港中になったよ!父ちゃんが帰ってくる!」など、毎日その掲示板を見るのが日課になっていて、帰宅すると必ず母親に報告をしていた。

マグロ船に乗船した二日目。
またも、ジャッ!!っというカーテンの開く“嫌な音”と共に「起きろ!」と怒鳴られて目が覚めた。
前日の当直が終わった後、寝ようとしたが船酔いで気分が悪く明け方まで寝付けなくて寝不足だった。
起き上がって寝台から降りた。頭がクラクラするし、意識はボーッとする。
船は常に揺れているので、真っすぐ歩くこともままならない状態だ。
そんな状況下でも、船員達は普通に歩いているし、普段通りの生活をしていた。
僕を起こしに来たのは、船の飯炊きを担当している「コック長」で、出港二日目のその日は当直以外の仕事は休みだった。
出港した直後である。
何十年のキャリアを持つ船員でも、短い間の家族との楽しい日々や、恋人と楽しかった日々に後ろ髪を引かれる。仕事に対するモチベーションなど上がるわけがない。

しかし、初乗りの僕は別だ。

1日でも早く漁師として使い物になるよう、出航した翌日でも関係ない。

しかし・・・・・。

今の僕の最大の敵は、この船酔いだ!!

とにかく気持ちが悪い!!

僕はコック長に導かれるまま、部屋を出て食堂の横にある賄いに行った。
そこで「今日からお前が飯炊きをやれ」と、突然言われた。
「へっ???飯炊き??」と、聞き返すと
「そうだよ!一年生は飯炊き係って決まってるんだよ!」と、なぜか荒い口調で言われた。
「あの・・・僕、飯なんか炊いたこと無いし。料理なんか一切出来ませんけど・・・」という言い訳を言う暇もなく、コック長は船酔いでフラフラする僕に「着いてこい!」とまたまた荒い口調で言うと、米の貯蔵庫、冷蔵庫の使い方、ガスの使い方、食糧庫の案内等を淡々と説明した。
船酔いで意識が朦朧とし思考能力ゼロの僕は、コック長の説明をボーッと聞いていた。
コック長は説明が一通り終わると、僕にご飯の炊き方と、料理の仕方を実践して見せた。
米びつの1合と書かれたボタンを5回押し、5合分のお米をお大きなボールに出し、一気にお米を洗い、巨大な炊飯ジャーにお米を入れ、炊飯ボタンを押し「こうやって飯を炊くんだぞ!」と言った。
次に大きな鍋に「清水(せいすい)」と書かれた札のついた蛇口を開き、水をザーーット入れた。
これまで、計量器などは一切使っていない。全て目計りだ。
鍋をガスコンロの上に載せ、ガスコンロの火をつけた。
ガスコンロは業務用の巨大なコンロで、二台設置されていた。
それから、冷蔵庫から大根と玉ねぎと油揚を大量に取り出して来て、ササッと1センチ程度のぶつ切りにし、切り分けた食材を鍋にぶち込んで蓋をした。瞬く間に鍋の蓋が“カタカタカタ”と音がし始めた、鍋が沸騰した合図だ。コック長は鍋の蓋を開けアクを取り、再び鍋に蓋をして火を止めた。
次に長方形の大きめのフライパンをコンロに載せ火をつけた。
巨大なボールを用意して、片手で卵を割っていく。“卵をパカパカパカ”
実に手際よく作業をしているのだが、船は上下左右にかなりの振れ幅で揺れ続けている。
卵1パック分12個を割り、シャカシャカシャカとかき混ぜ、昆布出汁の元を少々、砂糖を少々、味の素少々、みりん少々を入れ、醤油少々を入れ再度かき混ぜる。
混ぜた卵を、キンキンに熱せられたフライパンに流し混み、フライパンの上で焼けた卵が固まりかけると、菜箸を使って器用にクルッと巻いていく。
それを何度か繰り返し、あっという間に大きな卵焼きを4枚作った。


次に、冷蔵庫から大きな鰹(カツオ)を取り出した。
聞くと、昨日出向した時に船尾からルアーを流した仕掛けをしていて、今朝その仕掛けに釣れたらしい。結構大きな鰹で、5キロ位あっただろうか。
その鰹を、これまたサクッサッサッと3枚に下ろし短冊切りにして、カツオに鉄の串を突き刺しコンロの火で炙り、炙ったカツオを刺身サイズに切り、皿に盛り付け玉ねぎをみじん切りにしカツオの刺身の上に振りかけた。


生姜とニンニクを少々を摺り下ろしポン酢で合わせて調味料をつくり、それをカツオの刺身にかけた。
カツオのたたきの完成だ。
そうしていると、炊飯器からピーッという音がした。炊き上がりの合図だ。
再度味噌汁の鍋へと向かい、味噌を溶き入れ、味見をして「ヨシッ」と言って蓋をした。
出来上がった料理を、食堂のテーブルの上に並べて完成。
実に手際良く、20分程度で全てを作り終えた。
何度も言うが、船は上下左右に大きく揺れ続けている。
見ている僕は、船酔いのせいもあるが立っているのがやっとの状況で、手摺りに掴まりながらコック長の調理を見ていた。
飯炊きの実演が終わると「飯炊きの当直は18時~20時の固定だからな、夕食を18時までに作って船頭に一番に食事が出来たことを伝えろよ。飯食うのは船頭が一番だからな!」と言い。
「今から船頭の所に行って、ご飯が出来ましたと言ってこい」と、僕に向かって言うと、コック長は船員室に入って行った。
“その他の注意事項は?”と、聞く暇もなかった。
僕は言われるままに、船尾の食堂から船頭のいるブリッジに向かい、船頭に
「飯ができました!」と言うと、船頭は無表情で無言のままブリッジを出て行き食事に向かった。
僕は、当直員が座る操縦席に腰をおろして上下左右に揺れる海を見ていた。

船酔いによる気分の悪さは、まさに絶好調!!

まるでSex Pistolsのシド・ヴィシャスのライブの時のハチャメチャな感じでございますよ。


荒れる海を見つめていると、気分の悪さはどんどん増してくる。
気分が悪くなるのに比例し、腹の底から何かがこみ上げる感じがした。

「ウッ!!!!!!!出るっ!!!!!」

と思ったが、さすがに操縦席でゲロをするわけにはいかない。
ブリッジから飛び出し、手摺に手をあて体を固定して「ウゲェェェェェ」っと、声を上げゲロを吐こうとたが何も出ない!
そりゃそうだ、前日から船酔いで気分が悪くて何も食べてないんだもの。

胃の中は空っぽ。

しかし腹の底から、どんどんと何かが込み上げてくる。
口からは得体の知れない液体と、声だけは出る。「ウゲェェェェェェェ」。
それを何度か繰り返すと酸っぱい物が口から出たと思ったら、その液体は赤かった。
口の中に血の味がした。
そう、胃液に血が混じり、それを吐いたのだ。
まさに“血反吐(チヘド)”を吐いている状態。
「ダメだこりゃ」と思った瞬間だった。
僕の右側の顔に、鈍く重く鋭いドスッという衝撃と激痛が走った。
僕は衝撃と船の揺れのせいで、船の上に転がった。
「痛い!!」と思い顔を上げると、鬼の形相をした船頭が立っていた。
「ああ、殴られたのか」と理解するまでに、大した時間は必要なかった。
「船が汚れるだろうが!グォォラァ!!」と、倒れている僕の下腹部をめがけ、また鋭い蹴りが下から上に、ドスッ!

蹴りは見事に、僕の下腹部にメガヒット!

さすがに、その蹴りは効いた。
腹を押さえうずくまる僕に向かって「船酔い治っただろうが!飯食って寝とけ!」と一言放ち船頭は、ブリッジに入って行った。
顔を蹴られた痛みと下腹部への蹴りの痛みで、船酔いからくる気分の悪さが何と無く和らいだ気がした。
これぞまさに荒療法。
毒を持って毒を制す的な。
ひと時、悔しさと痛さで起き上がれなかった。
それを見ていた船員が、「大丈夫か?」と言って、抱え起こしてくれ船尾まで肩を貸してくれた。
その先輩船員は、後に僕が「怪物君」と命名した先輩で、上半身の筋肉が異常に発達しておりTシャツを着ると袖の辺りが裂けてしまう程腕が太いのだが、身長は160センチに満たない。
とても素晴らしく肉体と残念な体型を持った、僕を一番可愛がってくれた先輩だ。
怪物君は僕に向かって「痛いか?」と聞いた、僕は「うん」と頷いた。
「いいか、船の上では“痛い”とか“寒い”とか“暑い”とか、絶対に弱音は言うなよ。縁起の悪い言葉を船乗りは嫌うからな」と優しい顔で怪物君は言った。
僕はその一瞬だけ、ショックで船酔いを忘れていた。
それどころか、少しスッキリしている。
全く気分が悪くない。
急激な空腹感を感じお腹に手を当てたると、背中とお腹がくっつくくらいペタンとしていた。
怪物君と一緒に飯を食った。
食事を終えて、服を脱いで痛む腹を見た。
右の脇腹に紫色の鮮やかなアザがクッキリと出来ていて、顔を鏡で見ると右目の上に500円玉大のコブが出来ていた。
「クソオヤジ!」と思った。
自分の寝台に戻ると、寝台に料理の作り方の本が3冊置いてあった。
「これを参考にして、今日から料理を作れということ?」と思った。
おそらく、その本を置いたのはコック長だろう。
僕は、寝台に横になり料理本を開き、今夜の夕飯に何を作るのかを考えた。
考えて考えて考え抜いた結果、カレーと決まった。

というのはウソで。

学生の頃、キャンプで一度作ったことがあので何となく作れる気がした。
しかし、ご飯の炊き方も、味噌汁の作り方も何もわからないし作ったこともない。
「俺に飯炊きができるかなぁ?」と不安になったが、生来の能天気な性格が幸いしたのか「まぁ、なんとかなるか。最初は誰でも素人だし」と思ったら、不安はなくなり何と無く出来る気がした。
そんなことを考えながら料理本を見ていると、また気持ちが悪くなってきて寝不足だったのも手伝ってか眠気がしてきたので、とりあえず寝ようと思い15時に目覚まし時計をかけて寝た。
15時の目覚まし時計の音で、目が覚めた。
寝台を降りて部屋を出て行き、賄いに行ってタバコを一本吸った。
なんとか動けるが船酔いは続いていて、頭はクラクラ、意識はボーッ。
気持ちの悪さは継続中なのだが、飯炊きをやれと言われた限りはやらねばならない!
「シャッ!」と声を出し気合いを入れ、カレー作りに取り掛かった。
もちろん、カレーを作っている間も、容赦無く船酔いは襲いかかってくる。
作っている間、何度か吐きそうになりグッと堪えた。
船頭に殴られてから、二度とゲロは吐かねえ!と心に決めていた。


というのも嘘で、隠れて2~3度吐いちゃったけど。


揺れる船の中、慣れない手つきでタドタドしくカレーを作る。
ジャガイモの皮をむいたり、人参を切ったり。
ついでに数カ所、包丁で指も一緒に切ってしまった。
そうしているうちに、自然と料理をしながら船の揺れに対して体を支える方法が身に付いた気がした。
左足の踵(かかと)で後ろ側の壁を抑え、右足のつま先で前側の壁を抑える、左手に体重を乗せまな板と材料をしっかり抑えて、身体を斜め45度程度でまな板に向き合うと、体と船の揺れが一体化しあまり揺れを感じずに材料を切ることができる。
「なるほど!これはキックボクシングをしている時のスタンスじゃないか」


余談だが、この頃の経験の影響で今でも料理を作るのは好きでよく作るだが、材料を切るときのこの姿勢がいまだに染み付いていて、まな板に45°の角度で向かい独特のポーズで食材を切る癖がついている。


初めてのマグロ船で作るカレーが出来た。
時計を見ると18時少し前、18時ピッタリになるのを待ち18時になった瞬間にブリッジへ。
船頭に「飯、出来ました!」と、“俺はもう船酔いなんかしちゃいねーぞ!”ということを強調するかのように、デカイ声で言った。
その声を聞いた船頭が無線室から出てきて「うるせぇ!!!声がでけぇんだよ!!!」パシッっと、平手で頭を殴られた。
心の中で「何をしたって、殴っちゃうんだ。元気を強調するんじゃなかった・・・・」
少しすると食事を終えた船頭がブリッジに戻って来た。
ブリッジに入ると、僕に向かって一言「美味いじゃねーか」と、僕に言い船頭室に姿を消した。
その後、18時から20時まで当直を担当し、それが終わり賄いの片づけを終えた。
風呂に入りたいと思った。風呂のお湯は、もちろん海水である。
浴槽に海水お入れた。
お湯は、ステンレス製でできたバスヒーターで沸かす。
バスヒーターとは1メートル程のステンレスがむき出しになっており、それが高熱になることによりお湯を沸くという仕組みになっていて、スイッチを入れてから30分程で浴槽の海水が40~45度程度のお湯になった。


先輩に「風呂に入るときは、絶対にヒーターのスイッチを切ってから入れよ。スイッチ入れたまま入ると感電死すぞ」とキツク注意されていた。
バスヒーターは常に浴槽の海水に浸かっているため、海水によりステンレスが腐食してくる。
腐食した部分から漏電をし、お湯に触れた瞬間感電をして死に至る。
中学生の時、このバスヒーター事故により同級生の父親が亡くなったのを覚えていた。
30分程して、僕は風呂場入り口横にあるバスヒーターのスイッチをOFFにして、風呂場に入った。
風呂には二つの蛇口が付いており、向かって左側の蛇口に「海水」と書かれた札、右側の蛇口に「清水(セイスイ)」と書かれた札が付いていた。
しかし、右側の清水の蛇口をひねっても水は出てこない。
機関室の清水弁を開けないと、清水は風呂場に供給されない仕組みになっていて、清水弁は機関長が管理しており機関長の許可が無いと清水弁は開けてはならないし、清水弁に触れることすら許されない。
船には大小合わせて10箇所に蛇口があるが、常に清水が供給されている蛇口は、食事を作る賄とブリッジ横にある蛇口の二箇所だけ。
ブリッジ横の蛇口の横に小さな桶が設置されており、風呂上がりに使える真水は、その桶一杯だけと決められていた。
僕は浴槽の海水のお湯を汲み頭から被った。
何度かお湯を被っていると、海水のお湯が口の中に入った。
「塩っぱ!!」
まずは頭をシャンプーで洗う。
オシャレなシャンプーは海水だと全く泡立たない。
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次に体を洗う。
これまたオシャレなボディソープなどは、海水では泡立たない。
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体を洗ったついでに、顔まで洗う。海水のお湯を頭から被り、泡を洗い流す。
そしてまたお湯が口に入り「塩っぱ!!」
全身を洗い、海水の湯船に浸かると肌にピリッとした、痛み似た感覚がした。お湯に浸かっていると、ネットリとした海水風呂独特の肌にまとわり付く感じがしてくる。
風呂なのに潮の香り。
しかも、下からモワーッと湯気とともに。
海水といえども、やっぱり風呂は気持ちいい。
常に揺れてるけど・・・。
風呂から出て、清水で顔を洗った。
サッパリした。
顔お洗ってからお湯に浸かり火照った体を冷まそうと、船尾に行き全裸で船尾の魚倉に腰掛けて夜風に当たっていると、さっぱりするどころかベタベタと湿った空気が体に張り付いてくる感じがした。
体が乾いてくると、肌はザラザラ、髪もガシガシ。
なんとも気分の悪い、風呂上がり感。
船に乗るまで、ずっと風呂は真水の風呂だった。ごく普通に。
しかし今では清水はもの凄く貴重で、しかも限りがある。
それまで、そんな生活したこともないし、水が無くなるなんて考えたこともなかった。
しかも、揺れるところで生活もしたことないし船内はとても狭い。
こんなんで、俺やっていけるかなぁ?と弱気になった。
そこに、先輩船員が通りかかった。
風呂上がりで涼んでる僕を見て「お、風呂入ったのか!気分良くなっただろ?」と声をかけ、僕の隣に腰を下ろした。
僕は「うん」と答えた。
「あの」と一旦呼吸を整えてから、聞いた。
「こんなに揺れてるし、風呂も海水だし。よくみんな普通に生活していられますね?」
先輩船員は「普通じゃないことでも続けていれば、いつかそれが普通なるんだ。要するに慣れよ、慣れ。1年もすりゃあ、お前もこれが普通の生活になってるさ。」答えた。
僕は「そんなもんですかねぇ?」と言った後、「慣れるしかないんだ、俺は漁師になるんだ」と自分に言い聞かせた。

ここで、僕が乗っていた59トンクラスのマグロ漁船の役職や役割と乗船したメンバーについて解説しておこう。
船頭(せんどう)
船長(ふなおさ)で、船では神的な存在であり、全ての権限を持つ。
全船員の精神的支柱でもあり、船頭が船員に“なめられる”船は僕が知る限り存在せず、もし“なめられる”ようなことがあればその船の指揮系統とは崩壊し、組織として成り立たない。
100トンを超える大型のマグロ漁船には「船頭」「船長」「漁労長」と役務により役職を分けるが、僕の乗った船は59トン型鉄鋼船は、マグロ漁船の中でも小型に属し、そのクラスの船では船頭が上記3役を兼務する。

機関長
機関部の長であり、船での地位はナンバー2。
機関の専門的な知識のほかに、冷凍機というマグロを保存し鮮度を保つための冷凍装置を取り扱う。そのため、機関長の腕次第で水揚げ高(売上高)が大きく左右される。経験と勘が必要となる職務で、機関長の腕の良し悪しで水揚げ高500万~1000万円の差がつくこともある。

ボースン(甲板長)
甲板部をまとめる長で、機関以外の船具や船の装備を管理する長であり、一般船員を統率する役目。

冷凍長
マグロを魚倉に収める役を担っている。船には船首甲板に合計10倉、船尾に2倉合計12の魚倉があり。その魚倉の全ての形状を把握しておかなければならない。冷凍長の腕が、船にマグロの積む積載量が決まる。冷凍長の腕の良し悪しで、同型の船で同じ最大積載量の船でも3トン程、積載量変わることもある。例えば、50キロのメバチマグロを1キロ1200円で水揚げすると、3トンの差が出た場合売上高に換算すると、360万の差が出るということである。
※最大積載量とは、船に積める物資の最大量をいう。

怪物君
僕の今までの人生の中で、一番お世話になり、一番残念で、一番面白く、一番僕を可愛がってくれた愛すべき先輩船員。
上半身の筋肉が異常に発達しているが、ボディビルダーのように筋肉美を求めて作った身体ではないため、何を着ても似合わない、とても残念な体型をしていた。
身長は160㎝弱。数多くの伝説を持つ、僕的に地上最強の漢である。

大河(おおかわ)さん(本名:有馬さん)
中学もろくに卒業せずにマグロ漁船に乗る。漢字が全く読めない。
僕はよく週刊誌にフリガナを書かされた。
「大河(オオカワ)さん」というニックネームは、僕が命名した。

以上が主要な役職と役割やメンバーで、この時、船員総数は8名だった。
ちなみに、新人の教育方針は、それぞれのマグロ船で大きく違うが
僕の経験は、当時のマグロ漁船で一般的な方針だったように思う。
一人前のマグロ漁船の漁師になるには、3年かかると言われる。

船は、太平洋のマーシャル諸島付近の漁場を目指し航行し、出港した日から3日目をむかえていた。僕は18歳になったばかりで、高校を卒業して5日で、まだ、船酔いは続いていた。
飯炊きを任され、5時半には起床し8人分の朝食を作らなければならない。
しかしその日、僕は船酔いせいで眠れず、寝坊をしてしまった。
船員室の中は、非常灯以外の電気は消えていて暗い。
それぞれの船員の当直時間がバラバラのため、就寝時間もバラバラなのだ。
ジャッ!!!というカーテンの開く“嫌な音”と共に「起きろ!!」と怒鳴る声がした。
だが、体が言う事を効かない。起き上がれない。
船酔いと寝不足による倦怠感と、高校を卒業して間もない僕は少し学生気分残っていた。
心のどこかで「体調が悪い」と言えば、休めるのでは?と思っていた。
僕は薄目を開け暗闇の中に立つ人影に向かって「体調が悪い」と言った。
すると、いきなり髪を鷲掴みにされ、寝台から引きずり出された!!
もの凄い力だった!!!
船員室から食堂に引きずり出された時に、食堂の明かりで髪を鷲掴みしているのが誰だかわかった。
船頭だ!!!
「体調が悪いもクソもあるか!お前、まだ船に酔ってんだろ!!」と言い、髪を鷲掴みにしたまま、調理室まで僕を引きずって行った。
調理室まで引きずられていくと、船頭はおもむろに炊飯器を開け炊飯器の中のご飯をつかみ取ると、いきなり僕の口の中にご飯を押し込んだ。
「飯を食わねぇから、いつまでも酔ってんだ!!!オラ!!食え!!」と言いながら容赦なく、僕の口にご飯を押し込んでくる。
いくら何でも、僕だって抵抗しますよ!息もできないし!
僕はうつ伏せ状態でジタバタしながら、髪を鷲掴みにしている船頭の手を離そうと、船頭の腕をつかんだ。
すると、抵抗しようとしている船頭の腕を掴んでいる僕の腕を、他の誰かが掴んだ。
掴んだかと思うとクルリ!!と簡単に仰向けにされ、僕の上に乗り両膝で僕の両腕を押さえつけ、完全に僕の体の自由を奪うと、バカ力を利用して僕の髪を掴み、もう一方の手で口の下あごを持ち強引に口を開かれた!
とてつもない剛力だ!!
顔を見ると、怪物君だった。
さすが怪物君!!
強引に開かれた口に、船頭は容赦なく手づかみのご飯を押し込んできた。
僕は息が出来ないので、嫌でもご飯を飲み込むしか無い。
次に、みそ汁の入った鍋にどんぶりをそのまま入れて汲み取ると、それを僕の口に流し込んで来た。
もちろんゆっくりではない、ガバッガバッとである。
熱いみそ汁は鼻を通って入ってくる。
苦しいし、熱いし、容赦なく喉に奥に流し込まれてくる。
次にご飯、次にみそ汁と交互に・・・・・。

残飯箱か人かわからない状態でございます。


それを3度繰り返され、僕は解放された。
寝起きでの出来事で、何が何やら訳わからず放心状態の僕。
すると、急激に吐き気が襲って来た。
口を手で押さえて、船尾の外に続く階段を駆け上がった。
たった今無理やり流し込まれた食べ物を、海に向かって「ウゲェェェ」と一気に放出!
さっきの惨劇を受け入れる事が出来ずに放心状態の僕は、しばらくその体制にまま海を見つめていた。
ハァハァハァと荒い息をしてる僕に、後ろから誰かが「おい!」と声をかけた。
振り返ると兄が立っていて、その顔は笑っていた。
「ほら!」と言い、僕に向かってポカリスエットを投げた。
「それ一気に飲め。気持ち悪くて吐きたくても、ちょっと我慢してから吐けよ」と言った。
僕は受け取ったポカリスエットを一気に飲み干した。
ポカリスエットを飲むとまたすぐに気持ち悪くなり吐きそうになったが、とても素直な僕は兄貴に言われた通り吐き気をグッと我慢して耐えた。
すると、じんわりとポカリスエットが体に沁み渡る感じがした。
体がスポンジにでもなったかのようだった。
気分が悪いのを我慢できるまで我慢しそして、また「ウゲェェェェ」。
口からも鼻からもゲロがでるし、目からは悔しさで涙が止まらない。
誰にも泣いてる顔なんて見られたくないからハァハァハァと荒い息をしながら、船から海に向かって顔をつき出し、涙で滲む目で海を見ながら頭の中を整理した。

何が起きたんだ?
なんという酷いことをするんだ?
何なんだ・・・。

息が収まり、グチャグチャの汚い顔を服で拭い顔を上げた。
すると「ほら!」と、兄がタバコとライターを差し出した。
またまた素直な僕は、差し出されたタバコをくわえて火をつけ煙を吸い込み、空に向かって一気に煙を吐き出した。

するとだ!!!


気分爽快!!!

あれ?今までの船酔いは、何なの!? 
あのクラクラした感覚はなんだったの!?と思うくらい、爽快なのである。
青い空と澄み切った空気、眼下には大海原。
船は南を目指し航行を続けている、船は小笠原諸島を超え、日付は4月に入っていて気候もかなり暖かくなっている。
気分が良くなると共に、乗船してから今まで心にあった悲壮感に似た感覚が嘘のように消え去っていた。
そんな僕に兄が「みんな初航海の時はそんなもんだ」と言った。
そこにボースンが現れ「おい、仕事始めるぞ!」と、僕に言った。
残飯まみれの悲惨な姿の僕を見て、ボースンはニヤニヤと笑っていた。
さっき無理矢理流し込まれた、豚の餌のような物は全て吐き出している。
乗船してはじめて、空腹感を感じた。
食堂に行くと、怪物君が惨劇の後片付けをしていた。
怪物くんは片付けをしながら僕に向かって「腹減ったか?」と言い、ニコリと可愛らしく微笑んだ。
怪物君の笑顔は、とても可愛いかった。
例えて言うなら、凶暴な熊のプーさんがニコッと笑った感じだ。
僕は「うん」と答え、どんぶりにご飯大盛りによそおい、それにみそ汁をブッ掛け、空腹の腹に流し込むように食べた。
この時食べたご飯の、美味しいこと美味いこと!
食事をしてから、服を着替えて船尾に出た。
すでに、船員達はボースンの指示に従い、仕事の準備をしている。
その日の仕事は、枝縄の釣り針を付ける部分のワイヤー切りと接続部分を作る作業だった。数十本まとめたワイヤーを、大きなワイヤー切り用カッタ―で切るのである。20回程切ると疲れを感じてきて、切るスピードも落ちてきた。
数十本のワイヤーの束を、ボースンが1,3m程に図り、ビニールテープでとめ僕に渡す。渡されたワイヤーを、僕がの切るという作業。図って、まとめ、渡して、切る。
とても簡単で、単調なお仕事。
しかし、これが延々と続く。
ワイヤーを切るカッターは、デカくて重い。
右足でカッター下台を踏みつけて固定し、左手でワイヤーの束を持って、右手で上から下にレバーを押すとグヮシャ!!という音と共に、ワイヤーが切断される。このレバーを抑える時に、力が必要なのだ。
レバーを押す重さは、5キロ程度で10回程度切ったあたりで右腕が重く感じて、20回程切ると疲れを感じてきて、切るスピードも落ちてきた。
するとだ。

パッコ―――ン!!!


またまた鉄拳ですよ。
しかもゲンコツで。
ボースンの。
「仕事追われてんぞ!!さっさとしろ!!」
普通は、殴る前に注意しませんか!?
殴ってから注意するの、おかしくありませんか!?と言いたかったが、反抗しようものなら4倍返しになって返ってくるのがわかっているお利口な僕。
無言で、感覚の無くなりつつある右腕を、振り上げては下ろしワイヤーを切りましたよ。
ただ心の中では「テメェら、そのうち見てろよ!最上級の漁師になってテメェら全員コキ使ってやっからな!」と思ってました!
ここで気持ちが折れちゃダメなんですよ。やっぱり。
ムキになって、ワイヤーの束を切る僕。
段々とワイヤーがボースンに見えてきた!
心の中では「てめ!クソボースン!殴りやがって!」と思いながらワイヤーを切る。
汗が顔を伝って滴り落ちてくる、完全に左腕の感覚は完全にないが、それを気力でカバー。
気合いってやつですね!
するとボースンの方が、遅れだした。
ボースンがワイヤーをまとめるのを待つ間少しだけ腕を休めることができる。
そのとき、火照った顔を風にあてて冷まそうと顔を上げた時、仕事をする僕の姿を微笑ましく見ている人がいた。
船頭だ。
それはあきらかに、父親の顔だった。
しかし僕と眼が合うと、無表情になった。

南下中の仕事内容は、朝の7時起床し食事後にすぐ開始、途中10分程度のコーヒータイム、正午の食事まで仕事をして、午後からは休みとなり、当直以外は自由時間となる。
飯炊きの僕は、時計が11時30分になると賄いに行き食事を作り始める。
30分で8人分の食事を作らなければならない。
常に時間との戦い。
10分でも遅れようものなら、船頭かボースンが怒鳴りこんでくるのは間違いない。
今考えてみると、この時に「次にすべきことの準備」「仕事要領」だということが体に染み付いたと思う。
タオルをハチマキにして、高温の調理場で汗ダクになりながらチャーハンと味噌汁と野菜炒めを作る。
時計を見た。
12時を5分過ぎてる!!!

ヤバいです!!


やっぱり怒鳴りこんできましたよ!

ボースンが!!!


一所懸命料理をしている僕のケツに、容赦のない蹴りですわ!
蝶野ばりのヤクザキックです。


「さっさとしろ!!」と、また暴力の後の注意ですよ。
「もう出来あがります!!」と、デカイ声で答える僕。
昼食が出来て、みんなに食事を告げると、船員達はさっさと仕事の片づけをはじめた。
ブリッジに行き、船頭に「食事できました」と言うと船頭は僕と目も合わせず、無表情でブリッジを出て行った。
操舵席にすわり、当直員の食事が終わるまで暫しの当直。
「フーーーッ」と深いため息をつき眼前の海を見た。
その時、あんなに酷かった船酔いは、完全に消え去っていた。
そこに、元コック長が入ってきた。
元コック長は若いころ何か問題を起こし、それを船頭が救ったらしい。
それ以来、船頭に一生ついていくと心に決め15年以上同じ船に乗っていた。
僕にとっては子供の頃から僕を可愛がってくれた、気の良い優しいおじさんだった。
「船酔いはどうだ?」と、僕に聞いた。
僕は「もう大丈夫だよ」と答えた。
「どうだ?船はキツイか?」と笑いながら聞いた。
僕は「全然キツくないよ」と、心と裏腹の強がった言葉で答えた。
それを聞いた元コック長の顔は、昔の優しいおじさんの顔に戻っていた。
「お前が船に乗るのを、船頭がどれだけ楽しみにしてたことか」とポツリと言ったあと続けて「あいつは俺に似てる、あいつはいい漁師になるぞと、お前が子供の頃悪さした時にいつも俺らに自慢気に話したもんだ。父ちゃんみたいな良い漁師になれよ、がんばれよ」そう言い終わると、元コック長はブリッジを出て行った。
なんだか、照れくさかった。
思い返せば、ガキの頃から超恐い親父でよく殴られたが、自慢の親父でもあった。
どこかの港に親父が入港すると、母は僕を連れて父親がいる港に会いに行った。
40年以上前の日本の交通機関は、現在程発達しておらず、病弱な兄に長旅は無理だと兄はいつも実家で祖父母と一緒に留守番をしてた。
宮城県の塩釜や和歌山県の那智勝浦など、いろんな土地の漁業関係者は僕を見かけると
「お!船頭の跡取りか!父ちゃんみたいになれよ!」と声をかけられた。
祖父は僕が小さな頃から、事あるごとに「お前は、うちの跡取りになるんだぞ。兄ちゃんは身体が弱いからな。父ちゃん見たいになれよ」と言われて育った。
記録は残っていないが、父が船頭をして間もない若い頃、父と一緒に乗っていた船員から聞いた話だ。
日本近海(日本を出港して2日程度の海域)で、操業一回目に本マグロを含む60キロ上のメバチマグロを一度のはえ縄で360本釣りあげて、操業一回目にして船は一発で魚倉が満杯となる記録を父は持っているらしかった。
昭和40年後半頃、1週間足らずの航海で4000万円の水揚げをしたと聞いた。
子供の僕は、そんな父が誇らしかった。
小学生の頃、国語の宿題に「作文」があり、「父ちゃんが帰ってくる日」という題名の作文を書き、何かの賞を貰った。
その作文を読みながら、顔をクシャクシャにして喜んでいる親父の顔を今でも覚えている。
ブリッジのドアが開くガチャという音がしたが、僕は振り返らず海を見つめたまま座っていた。
するといきなり、頭をパーーーーーン!!と殴られるのと同時に「焼き飯が辛い!!」と怒られた。
振り返ると、船頭だった。
船頭は僕と目も合わせず、船頭室に入って行った。

なぜ、口より先に手が出る人たちなの!?


断っておくが、決して僕はか弱い系の男子ではなかった。
中学生のころ、相撲部に所属し県大会で入賞したこともあるし、高校生の頃はキックボクシングに明け暮れた。
僕の通う高校は、県下でも有数のスポーツしか出来ないおバカが集まる学校として有名で、スポーツから落ちこぼれた生徒は不良少年と化し、卒業した後はその道に入る人も少なくないくらい、悪い子が集う学校だった。
高校生の頃、何度か喧嘩をした。
キックボクシングをやってたこともありタイマンで僕は無敗だった。
というのはウソで。
隣町の剣道部の主将をやっていた同級生に一度だけ負けた。
だって奴は棒っきれを持ってて、とてつも無い速さで棒っきれを振り下ろし僕は素手だったんですもの。
しかし船員たちは、男としてのレベルというよりラベルが違った!
喧嘩の強さ等ではない。
そもそも、生きている世界の次元が違う。
男として、敵わないと思った。
そして、一日も早くそんな人たちに、男として漁師として認められたいと僕は思った。

日本近海を抜け、南方海域に差し掛かる頃、海は穏やかだった。
船の揺れは緩やかで、トビウオが飛んでいた。水平線には、夏を思わせる積乱雲が盛り上がっていて、空気は澄み渡っていた。
太平洋のマーシャル諸島付近の漁場を目指し南に航行を続けていた。
出航してから4日目を迎えた。
怒涛の4日間だったが、大体だが船の生活パターンもわかってきた。
もちろん仕事では、まだまだ使い物になるレベルではない。
飯炊き以外の仕事は、雑用がメインだ。
しかし、一つ大きく変わったものがある。
気持ちだ。
出港してからずっと船酔いに悩まされ続け、あまりの生活の激変を受け入れることが出来ずにいた。
もちろん「マグロ船に乗る」という人生の選択は自分でした。
しかし自分が“今、まさにマグロ船に乗って、マグロを獲りに行く”という感覚はほとんど無く、航海4日目にしてやっとそれを受け入れることが出来き気持ちが変わった。
「甘ったれたこと言わねぇ。負けるか!一人前の漁師になってやる!!」と、思うようになった。
考えてみれば、中学を卒業してすぐにマグロ漁船に乗った同級生が10人いた。
あいつら、俺らが高校行ってバカやってる時こんなことやってたのか!すげえな!!と素直に思った。
それと同時に、負けちゃいられねぇ!とも思った。
3年のキャリアの差は大きい。彼らの足元に及ばないのは十分承知している。
しかし、一所懸命仕事を覚えれば、なんとか2年で追いつけるはずだ。
やってやろうじゃねーか!と、思った。
船は太平洋上を南下を続け、季節は春から夏に変わりゆく雰囲気が漂っていて、海面を時折トビウオの群れが跳ねていた。

つづく

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